一人一人の意識の高まりが病院の将来に直結する
県が「清流の国ぎふ」としてブランド化を進めているように、岐阜県は山紫水明の地。「地域に親しまれる存在に」との願いを込めて、病院名に「清流」の2文字を入れた。2018年4月開院。名和隆英理事長を突き動かしたのは「生まれ育った土地の医療崩壊を防ぎたい」という強い思いだったという。
―開院までの経緯を教えてください。
当院の周辺には岐阜大学医学部附属病院、岐阜市民病院などがあり、高度医療を提供する体制が充実しています。
しかし、ポストアキュート、サブアキュートの患者さんを受け入れる医療機関は不足している状況です。当清光会が運営を引き継ぐ以前の「岐阜中央病院」はリハビリテーションを強みとしており、急性期後の患者さんを支えることのできる、貴重な存在でした。
岐阜大学の医局員だった私も、非常勤医師として岐阜中央病院で診療していたことがあります。また、岐阜市に隣接する瑞穂市に私の父が開設した「名和内科」とも深い関わりがありました。病院の雰囲気はとても良かったと思います。
ところが、ある時期を境に人材の確保がままならなくなり、岐阜中央病院は十分な機能を果たすことができなくなっていきました。
経営が行き詰まり、病院を引き継ぐ事業者の公募が始まったとき、私は他界した父の跡を継いで清光会の理事長も務めていました。困っている患者さんがたくさんいらっしゃったので何とかしたいと感じていましたし、周囲の後押しもありました。そうして名乗りを上げたわけです。
―「岐阜清流病院」開設後の感触はいかがでしょうか。
ドクターは、私が有する岐阜大学とのネットワークを活用することで確保できるのではないかと考えました。実際、20ほどの事業者が手を挙げていた中で清光会に決まったのは、大学がバックアップを約束してくれたことが大きく評価されたからです。
運営の母体が変わるタイミングで少なくない数の職員が離れていきました。その当時の病床稼働率は40%程度。そんな状況の中でも、残ってくれたみんなの頑張りによって、現在90%前後にまで盛り返すことができました。
救急の受け入れについても、旧病院と比較して着実に増えている。大学病院をはじめ、急性期病院からの転院も伸びる傾向にあります。本当に、多くの人に支えられていることを実感しています。
―重視しているのはどのようなことですか。
医師の確保も含めて、職員の採用は引き続き課題です。ただ、例えば看護師の平均年齢は30歳前後で、院長も40代前半。若い職員が多く、生き生きと働いているのは当院の強みではないかと思います。
苦しい経験を共有している職員がいることで「自分たちで何とかしなければ」という責任感も強い。
取り組んでいくべき改革は多々ありますが、一定のペースを守って、決して「急ぎすぎない」ことを心がけています。肝心なのは私たち経営層が何を考えているのか、これからどんな病院を目指そうとしているのかを、ちゃんと共有していくことです。
財務状況は。患者さんの推移はどうなのか。どのような投資計画を立てているのか―。
こうした法人の内情をしっかりと伝えて、職員に段階的にプレゼンテーションしています。一人一人がいかに「当事者」の意識を持ってくれるかが、岐阜清流病院の未来を左右します。
職員からさまざまな改善の提案なども出始めていますし、資格の取得や研修への参加など、意欲あふれる声が多く聞かれます。
まずは経営の安定化を図り、「人への投資」に力を注ぐことができる環境を整えたいですね。職員のやる気に応えられる病院でありたいと思います。
医療法人清光会 岐阜清流病院
岐阜市川部3-25
TEL:058-239-8111(代表)
http://www.skhosp.or.jp/