地域のニーズがヒント 柔軟な運営が道を拓く
30年余りにわたり、2代目として「時代に即した杏園会」の確立を目指してきた。法人内での一貫した医療と介護サービスの提供に力を注ぎ、地域の信頼も厚い。課題としていた新病院の建設計画も具体化し始めた今、伊藤知敬理事長に現状とこれからについて語ってもらった。
―これまでを振り返って。
1946年、私の父である初代理事長・伊藤茂が開設した診療所が原点です。3年後には20床を設置して伊藤病院となり、1960年に医療法人化しました。
1982年になるころには160床と、伊藤病院は少しずつ規模を拡大していきました。ただ、周囲の状況を見ると、ここ熱田区や隣接する中川区は大型病院がひしめく環境。伊藤病院のような中小規模の病院が急性期病院として続いていくには、少々厳しい環境だったと言えます。
そこで私たちが目を向けたのは「地域には高齢者を受け入れることができる施設が少ない」という点でした。方針を転換し、1995年、急性期医療から慢性期医療へと軸足を移行。高齢者を積極的に受け入れる姿勢を打ち出したところ、やはりニーズは高く、満床に近い状況が続きました。
さらに退院後の患者さんの受け皿として、1998年に介護老人保健施設「あんず」を開設しました。それを機に、介護事業への本格的な取り組みが始まりました。現在、介護老人保健施設は「あんず」の他に「かなやま」「トリトン」、通所リハビリテーションなどを展開しています。
―2000年代の動きは。
2000年に介護保険制度がスタートした当時、伊藤病院は一般病床と療養病床で構成する「ケアミックス型」病院でした。2002年以降に続いた診療報酬のマイナス改定により、病棟の再編は大きなテーマとなっていました。
以前からリハビリに取り組んできた実績を、強みとしてもっと生かせるのではないかと考えました。2004年、熱田区で初の回復期リハ病棟52床を開設。グループ内の病院、介護施設が連携し、急性期後の在宅復帰を支えていく体制が整い始めたのです。
2008年、伊藤病院を「熱田リハビリテーション病院」に改称したのも、私たちがどのような役割を担う病院なのか、みなさんに分かりやすく伝えたいという思いが発端でした。
―新病院の建設計画が進んでいます。
検討を経て、建設の見通しが立ったところです。現病院の最寄り駅は名古屋市営地下鉄の六番町駅。新病院は、ひと駅隣の日比野駅から徒歩数分の場所にオープンします。
現在、設計の打ち合わせを進めており、着工は来年、2020年開院を目指しています。ぜひ、これまでのノウハウをすべて注ぎ込んだ病院をつくりたいと考えています。
4月の介護報酬改定では3カ所の介護老人保健施設すべてが「超強化型」を取得しました。これは急性期病院からの信頼にもつながっていると考えています。
在宅復帰率の項目などがより重視された改定となっていることからも、結果をしっかりと出し続けていくことが重要です。熱田リハビリテーション病院に勤務する105人のセラピスト、医師、看護師、栄養士、薬剤師らが一丸となって、早期の在宅復帰を強力に推し進めています。
チームの力を維持するためには個々のスタッフのスキルの向上、継続的な教育が大切だと考えています。外部の講師を招くなど、さまざまな教育プログラムを実践しています。
昨年、「介護マイスター制度」という評価システムをスタートさせました。介護職は人材不足が深刻化しており、せっかく入職しても離職率が高いことが指摘されています。職員の頑張りを「マイスター」として認定することで、適正に評価する。前向きな気持ちや、やりがいにつながればと期待しています。
医療法人杏園会
名古屋市熱田区六番1-1-19(熱田リハビリテーション病院内)
TEL:052-682-3077(代表)
http://www.kyoenkai.or.jp/