守ってきた2次救急の火は決して絶やさない
この地域に病院を―。なかなか医療を受けることができない環境の改善を願う住民の声によって「西条市立周桑病院」が誕生したのは1938年のことだ。これまでの歩み、そしてこれからも受け継いでいく思いについて、雁木淳一理事長・院長に聞いた。
―これまでの歩みを。
昭和初期、医療資源は都市部に集中しており、また診療費が高額だったこともあって、地域の人々の多くは十分な医療を受けることができませんでした。
深刻な状況を変えるために当時の産業組合(現:農業協同組合)が中心となり、地域が一致団結して病院の開設を実現しようとする動きが加速しました。多くの苦難を乗り越えて1938年、ついに「医療利用組合連合会周桑病院」として当院が開院したのです。
病院を取り巻く環境は常に移ろい、当院も「愛媛県農業会所属病院」(1942年)、「公立周桑病院」(1961年)と組織のあり方を変えていきました。
そうした中、2004年に始まった新医師臨床研修制度の影響は当院にも及びました。マッチング制度が導入されて自由に研修先が選べるようになると、若手の医師たちの意識は都市部に向き始めました。
大学による医師の派遣も以前と同じようには維持できなくなり、35人いた当院の常勤医は、一時は10人ほどにまで減少。24時間365日体制で担ってきた2次救急の存続が危ぶまれる事態に陥りました。
しかし、「地域住民の健康を守る」というのが開院時から持ち続けている精神です。2010年に指定管理者制度を導入し公設民営化。輪番制の2次救急で患者を受け入れ、350床を102床にダウンサイジングして再出発を図りました。
今年、開院80年。紆余曲折がありながらも、地域になくてはならない病院でありたいという思いは強くなる一方です。
―人材の育成についてどのように考えますか。
救急を担う地域の医療機関は当院を含めてどこもマンパワー不足が解消できていません。ただ、当院が臨床研修病院に指定されて以降、継続的に研修医が集まってくれるようになったのはうれしいことです。
患者さんのほとんどは腹痛や骨折などです。一般的に多く見られる疾患が中心ですが、たくさんの患者さんを診療する機会があるのは地域ならでは。研修医にはできるだけ実際に患者さんに触れて診療してもらうことを大事にしています。
週に2回程度の救急当番日の心肺機能停止(CPA)対応も他の医師が外来などですぐに対応ができない場合は、研修医がファーストタッチを担当します。入職して数カ月もすると、自分で考え周囲に的確な指示を出せるまでに成長しますので、心強いですね。
研修医の存在は指導医の気持ちにも刺激を与え、職員全体のモチベーション向上にもつながっています。当院で研修を終えた医師が一人でもこの地域に残ってくれることを願い、引き続き積極的な研修医の受け入れに努めます。
―今後に向けた思いは。
2014年に病床転換を実施し、102床のうち50床を地域包括ケア病床にしました。地域の需要が高いこともあって、順調に稼働しています。
また、当院も診断群分類別包括評価支払制度(DPC)を導入しました。地域の医療の火を絶やさぬようにするためには、効率的な病院の運営が不可欠です。DPCに基づいたデータ集積、分析に努め、経営戦略として取りまとめていきたいと考えています。
正直な思いとしては、やはり以前のように24時間365日、二次救急の患者さんを受け入れることのできる体制に戻していきたいというのが願いです。
人が足りないという状況が続くのは確かに厳しい。けれども当院の歴史が示してきたように、決して私たちが後ろを向くことはありません。
医療法人専心会 西条市立周桑病院
愛媛県西条市壬生川131
TEL:0898-64-2630(代表)
http://www.shuso-hospital.jp/