この地域の人々の一生に寄り添いたい
救急から在宅支援までを幅広くカバー。法人内に介護福祉施設を複数擁し、人の一生を支える体制を整える宮地病院。医療・介護・福祉の連携で、住み慣れた場所での暮らしをサポートしたいと宮地千尋理事長。その思いの原点と、かなえたい夢とは。
◎全壊から再建ケアミックス病院に
設立は1954年。父が診療所として開設したのが始まりです。私が勤務してから10年ほど経ったとき、阪神・淡路大震災が起こり、病院は全壊。入院患者は全員救出できましたが、当直の看護師が亡くなり、家族を失った職員もいました。
病院がなくなったため、190人ほどいた職員は全員解雇するしかありませんでした。震災の翌月、壊れた病院の駐車場に集まって全員とお別れしたときは、本当に無念でしたね。
震災の5年前には病院をリニューアルしており、その借金も残っていました。周囲は被災し、患者さんもいないので、「再建は無理だろう。土地を売って借金を返して、診療所をしてはどうか」という話にもなっていたのです。
でも、被災した町を巡回していると、「いつ再開してくれるの?」と皆さんが声をかけてくださいました。「待っている」の言葉に、再建を決意。父を説得しました。
それまでの私は勤務医として、ある意味、気楽に仕事をし、毎日を過ごしていました。しかし、この時をきっかけに、「人生をかけて病院を運営していかなければ」と思うようになりました。
クリニックを開院して診療を続けながら、資金面の調達にも奔走した結果、2年後に病院を再建することができました。
その際には、どんな状況になっても存続して職員を守りたいという強い思いがありました。そこで地域で一番必要とされている慢性期医療にシフト。200床あった病床は158床に減らし、診療科目も絞りました。
ただ、地域の方が困らないよう、救急患者の受け入れはそれまで通り継続。一般病棟も残したケアミックス病院として生まれ変わりました。
◎リハビリ専門病院を新設
以降、高齢者の医療、認知症やリハビリに力を入れてやってきましたが5年ほど前、神戸市の増床計画で、私たちの法人にも50床の許可が出ました。その枠に、宮地病院から70床を移設して、2013年、近所に開設したのが「本山リハビリテーション病院」です。
80床の回復期リハビリテーション病棟と、40床の障害者病棟でリハビリに特化したケアを総合的に行っており、周辺地域では他の病院にない役割を持っていると思います。
続けて、短時間通所リハビリや、運動療法を提供するメディカルフィットネスを宮地病院敷地内に開設しました。
今後はさらに本山リハビリテーション病院とのすみ分けを進め、宮地病院は引き続き2次救急と慢性期医療、在宅医療、外来・通所リハの担い手としての使命を全うしなければならない。
今、救急で来院する方の約6割が認知症です。軽度から重度まで状態はさまざまで、スタッフが少なくなる夜は対応に苦慮することも少なくありません。
職員のストレスも10年前に比べて急激に増えています。そのためにも認知症のケアをより拡充させる必要があります。新しい認知症ケアの手法やロボットの導入なども模索しながら、「断らない医療」を進めていくつもりです。
◎多職種チームで在宅医療を
震災直後は、探し出した血圧計や聴診器を持って患者さんを訪ね歩きました。顔を見て手を握り、話をするだけで落ち着かれた方も多かった。足があればどこへでも行ける、道具や器械に頼らない治療があることに気が付き、在宅医療は、不自由なところもあるけれど、医療の原点だと実感しました。
病院の中にいると、どうしても患者さんの生活から遠のくところがある。医療は患者さんの生活のごく一部を支えているだけで、医師の役割は案外少ないのです。
加えて今は支援を必要とする人々の高齢化が進み、独居や老老介護、認知症、寝たきりと、それぞれが問題を抱えて生活しています。解決のためには、医師や看護師だけでなく、介護士や栄養士、理学療法士や作業療法士などさまざまな職種が連携して当たることが必須です。
そんな思いで、私たちは多職種のカンファレンスも早い時期から取り入れ、在宅療養支援病院として各自が専門性を生かしながら在宅医療に取り組んできました。 患者さんの一生を支えるために、医療・介護・福祉のトータルで在宅支援を行う。私たちの事業の柱はそこにあります。
◎「お結びの会」で地域連携
法人内の在宅サービス部門の一つに、市の委託で設置する地域包括支援センターである「本山東部あんしんすこやかセンター(略称・あんすこ)」があります。
私たちの「あんすこ」が5年ほど前、地域包括ケアシステムを進めるために近隣の介護事業所、福祉施設、医院、住民に声をかけて多職種で地域住民と話し合うために始めたのが「お結びの会」。区役所が「地域ケア会議」を始める3年ほど前のことでした。
「あんすこ」は中学校区に一つとされていますが、実感としては3〜4の「あんすこ」が集まったエリアが、私たちが責任を持って濃厚にケアできる範囲。この地域が一体となって活動することが肝心だと考えました。
住民が住み慣れた地域で暮らし続けるために「お結びの会」はどう役立てるのかを話し合う中で、多職種連携活動の一つとして始めたのが、認知症カフェです。メンバーでチームを作り、現在5カ所の施設で開催。認知症の方や家族が気軽に足を運べるような工夫をしています。ケアマネジャーや民生委員にも、困りごとがある人への声かけをお願いしています。
◎人がつながる「ホスピタウン構想」
「キュア(Cure)からケア(Care)へ」と言われる時代、私たちは「地域で生きることを支える」をスローガンにしています。
それなら住む場所も必要、ということで今、近くに建設しているのがサービス付き高齢者向け住宅。ある程度重度の方でもサポートでき、いざとなれば入院もできるのがメリット。自分たちが得意なところを生かしてやっていこうと思います。
まだ敷地に余裕がありますので、将来的には高齢者、子ども、障害者、ペットも一緒など、いろいろな住み方が可能なユニバーサルな住処(すみか)が作れたらいいなと考えています。 私は「ホスピタウン構想」と言っているのですが、安心して暮らせて、人と人とのつながりが生まれる場所になれば、と。
地方では「CCRC」といった、高齢者が生涯活躍できるまちづくりの構想もありますが、都市部である神戸市も人口減少に向かい始めています。少子高齢化の中、地域の多様な力を合わせて生かすことがより大事になってくるでしょう。そこは私たちが求心力を持って取り組んでいきたいと思っているところです。
私は震災後、「第2の人生」だと思って生きてきましたが、20数年経って、また次のステップに進む時期かなと感じています。残された時間は限られていますし、今の場所には人材も育っています。任せるところは任せ、今後は新たな夢に向かって第3の人生、新しいステージに進んでいきたいですね。
医療法人明倫会 宮地病院
神戸市東灘区本山中町4-1-8
TEL:078-451-1221
http://www.meirinkai.or.jp/