2018年度増築棟完成「70年」のその先へ
名勝和歌山城を目前に臨む済生会和歌山病院。「小回りの利く医療」を実践し、和歌山市内の二次救急を担っている。創立70周年を迎える2018年には増築棟の運用が開始する。病院の特徴と今後の展開を松﨑交作院長に聞いた。
―病院の歴史を教えて下さい。
日露戦争(1904年〜1905年)後、日本経済は急速な発展を迫られました。同時に貧富の差が拡大し、生活に不安を持つ者や十分な医療を受けることのできない者が続出。
明治天皇は、「貧しい人々を救わなければ日本は道を誤る」と憂慮し、1911年2月11日、当時の桂太郎総理大臣に「医療を受けることができないで困っている人たちに施薬救療の途を講ずるように」という趣旨の「済生勅語」を添えてお手許金150万円を下賜されました
同年5月30日に伏見宮貞愛親王が初代総裁、桂太郎総理大臣が会長に就任し、「恩賜財団済生会」が創立されました。「済生」とは中国の古典によると「生命を救う」ことを意味します。
その2年後の1913年9月、当院の前身となる「済生会和歌山診療所」が設立されました。
しかし1945年に第二次世界大戦の戦災により焼失。その後、元海草郡役所(和歌山市手平)を買収して1948年5月に病床数37床の「和歌山病院」として発足しました。
その後も1960年代半ばに起こった全国的な医学部紛争や大学の機構改革の余波を受け、一時は廃院の危機を迎えたこともありました。しかし各方面からの支援と、名誉院長の井関良夫先生をはじめとする当時の職員の尽力により再生し、今に至ります。
―地域における在り方と診療の特徴とは。
ここ和歌山医療圏は和歌山市、海南市、紀美野町の2市1町から成り、人口42万5220人を抱える和歌山県最大の医療圏です。2015年時点で高齢化率は30.0%(全国平均26.3%)。受診する患者さんの多くは60歳以上の高齢者です。
この和歌山医療圏には、急性期を担う医療機関として800床の和歌山県立医科大学附属病院、873床の日本赤十字社和歌山医療センター、303床の和歌山ろうさい病院など規模の大きな病院が数多くあります。その中で当院は40 床の回復期リハビリテーション病棟を含む200床の急性期病院として二次救急を担っています。
和歌山市の中心部に位置し、周辺を銀行や郵便局、商業施設などの高いビルに囲まれていますが、目前には和歌山城を眺めることができる風光明媚な面もあります。
2003年に脳神経外科ができたことで高次救急患者の受け入れが可能になり、それに伴い救急車の受け入れ数も増加。2015年度に2800人、2016年度に2200人の救急患者を受け入れました。
診療の面では和歌山県立医科大学から多くの医師を派遣してもらっており、とりわけ循環器内科、糖尿病代謝内科、消化器内科、外科系では整形外科、心臓血管外科、脳神経外科で専門性の高い医療を提供しています。
私が所属する整形外科では高齢の患者さんが多いこともあり、生まれつき股関節が変形してかみ合っていない状態から関節軟骨がすり減ることにより痛みを感じる「変形性股関節症」の患者数が増加傾向にあります。それに伴い重症化した場合に施す人工股関節置換術の症例が昨年は153例ありました。今後は200例ほどまで症例を増やすことも視野に入れています。
―2018年度には増築棟がオープンします。
現在の建物は和歌山県立医科大学附属病院の別館として1984年に建てられました。和歌山県立医科大学附属病院は1998年に紀三井寺市に移転。その跡地を当院が和歌山県から買収し、2003年にこの地に移転してきました。
それまではここからほど近い和歌山市新生町で診療していましたが、1979年に病床を166床から200床にしたことにより建物の狭隘(わい)化と老朽化が顕著になってきていたのです。
移転後、病院としてのアクティビティーが上がったことでまたもや手狭になってきました。外来の待合室や医局は狭く、患者さんに手術や病状の説明をする部屋もスタッフが仕事をする部屋も不足し、会議室は常に予約で埋まっている状況でした。
そこで病院の増築を決断しました。増築部分は約727㎡で床面積は1500〜1700㎡。鉄骨造りの3階建てで、内視鏡検査室と生理検査室が1階部分に移り、診察室は今よりも3室増えて合計14室になります。2階は事務部や会議室、3階は医局です。病棟は従来の建物に残します。
新しい増築棟ができる2018年度には創立70周年を迎えます。ハード面でも設備が充実しますので、これからますます若い医師が当院を選んで来てくれることに期待をしています。
―理念「患者さんも職員も元気が出る病院」とは。
院内のマニュアルを遵守し職員が働きやすく、また患者さんが療養しやすい環境づくりが「良い病院」につながると考えています。「良い病院」をつくれば患者さんは元気になる。
そこで「地域社会で親しまれ信頼され、患者さんも職員も元気が出る病院を目指します」という理念を定めました。
職員の働きやすさで言うと、産休や育休、職場復帰後の時短勤務があるのはもちろん、多職種間の垣根が低く職員同士の関係も良好です。患者さんからも「病院の雰囲気が良い」とよく褒められるんですよ。
待合室には受診を待つ間に気分が悪くなった患者さんを介助したり、相談に乗ったりするための「外来フロアコーディネーター」や、さまざまなトラブルが起こった際に迅速に対応するため警察のOBを配置。患者さんが療養しやすい環境をつくっています。
外来で名前を読んでほしくない方や、病室の入口にネームプレートを出して欲しくない方には申し出があれば個別に対応しています。
こういった細やかな配慮ができたり、院内における連携を密にしたりという「小回りの良さ」は当院の強みでもあります。
今後も全職員で協同し、患者さんに信頼され、「患者さんも職員も元気が出る明るい病院」であり続けられる。そんな環境整備に取り組んでいきます。
―医師を目指したきっかけと若い医師へのメッセージをお願いします
同じく医者の道を歩む兄の背中を見てきたことと、若い脳神経外科医が病院内で奮闘し成長していく様子を描いた米のテレビドラマ「ベン・ケーシー」(1961〜1966年)を見て憧れを抱いたことが医師を目指したきっかけです。
当院は急性期病院ですが、受診する患者さんの中には長年当院に通っている方も多く、「町のお医者さん」として親しまれています。
さまざまな症例をこなし、患者さん一人ひとりと向き合うことで、自分が今後歩むべき道を確立する、そんな病院に当院もなっていきたいですね。
社会福祉法人 恩賜財団済生会和歌山病院
和歌山市十二番丁45
TEL:073-424-5185(代表)
http://saiseikai-wakayama.org/