市立貝塚病院 小川 道雄 総長

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現状維持は後退だー動かなければ進歩はない

【おがわ・みちお】 1963 大阪大学医学部卒業 1970米ニューヨーク大学医療センター 1989 大阪大学医学部第二外科助教授 1990 熊本大学医学部第二外科教授 2003 宮崎県立延岡病院院長 2005熊本労災病院院長 2009 市立貝塚病院総長

 「日本で最も厳しい医局」とも言われた熊本大学第二外科教授時代の教育、経営危機に瀕していた宮崎県立延岡病院の立て直し、市立貝塚病院のがん医療の推進│。常に目標を定め実現にこぎつけてきた小川道雄総長の「信念」に迫った。

◎最大の市民サービス

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 当院が位置する貝塚市や隣接する泉佐野市、岸和田市などを含む泉南地域にはJR線、南海線の2本の鉄道と道路が縦横に走り、地図で見るとまるで魚の切り身のような区画になっているでしょう。そこに市民病院や公的病院をはじめ、たくさんの病院が集中しています。医療機関が特色を打ち出すのは、容易ではない地域なのです。

 2009年、私は「市立貝塚病院を検診から緩和ケアまで担うことのできる大阪府南部のがんセンターにしたい」というイメージをもって着任しました。しかしながら市当局は「周囲に多くの病院があるのだから、わざわざ高度化しなくてもいいのではないか」との考えでした。

 さらに当時は、一部の市民は高度な医療を受けるために、大阪市内や和歌山県の医療機関へ足を運んでいる現状がありました。私としてはやはり、地域住民の健康は地域の中で守るべきだと考えました。

 ですから、「引き続き市民病院の機能を維持して軽症の患者さんもしっかり診る。同時に、がん医療を中心に重症例にも対応できるようにしていく。それが市民のために最大のサービスになるはずだ」と主張。方針を認めてもらったのです。

 すぐさま環境整備を推し進め、2011年、大阪府がん診療拠点病院に指定。放射線治療装置をIМRT(強度変調放射線治療)対応に更新しました。

 続いて婦人科腫瘍センターの開設、手術件数の増加や入院日数の短縮化に備えた外来手術室の新設、外来化学療法センターと乳がんセンターの拡張など、さまざまなプランを実行に移しました。乳がんの手術件数は近畿圏でも上位です。

 2016年3月、従来の消化器センターの強化を図り、消化器・肝臓センターに改変。消化器内科、消化器外科をはじめ多職種のチーム医療による先端的な医療を提供しています。

 泉南地域で緩和ケア病棟を有する医療機関はきわめて少ないのです。貝塚市以南のエリアに限ると、2015年に当院が開設した19床が初めて。以来、満床が続いていますから、ニーズの高さを実感しています。

◎上向きに飛ぶからこそ

 2016年度、当院を退院した患者さんを疾病別に集計すると、計6800人のうち40%の約2700人が新生物で、そのほとんどが悪性新生物でした。「がんを柱にした病院に」という私の思いは、ほぼ理想形に近づいたと言えるのではないでしょうか。

 もちろん、私だけの力でここまでたどり着けたわけではありません。私が大阪大学第二外科にいた頃の教授で当院の初代事業管理者だった森武貞先生、同大放射線医学教室教授を務められた2代目事業管理者・小塚隆弘先生ら、歴代の総長が築いてきた土台があってのことです。

 また、がんの専門医をはじめ、幸運なことに熱意のあるスタッフが集まってくれた。特に看護師などのメディカルスタッフの教育は各部門の職員が力を尽くしてくれています。市民の信頼を得る上で、大きな貢献を果たしていると思います。

 常に具体的な目標を掲げて、その実現に向けて走っていくのが私のスタイルです。職員にビジョンを話すときなど、いつも「現状維持は後退である」と言っています。

 飛行機は、やや上向きに飛んでいるからこそ、姿勢を水平に保つことができるのです。最初から水平に飛んでいたのでは落下してしまう。自分たちの医療が正しいのだと疑いもせずに信じ込んでいると、いつしか質は下がっていくものです。

◎「育てる」とは

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 1990年、大阪大学第二外科の助教授だった私に、「熊本大学の第二外科教授に推薦された」との連絡が入りました。あまりに突然のことでしたから驚きましたね。

 当時の同大第二外科は長らく教授が不在で、どのような状況にあるのかまったく情報がありませんでした。しかも私が就任するとなれば、医局として初めての「外部から来た教授」になる。一度は断ろうなどと迷った末に「やるからには日本一の医局をつくる」と決めて熊本へ移りました。

 毎朝7時20分に当直による前夜の状況の報告。同7時30分から1時間、海外の論文の紹介や大学院生の研究発表。

 今の時代からするとずいぶんスパルタな教育だと思われるでしょう。それどころか、当時でも周りから非常に厳しいと言われていましたから。

 医師となったからには一生涯、スキルアップが求められます。医療は日々進歩しているのですから、卒業したころの知識のままで医業を続けることは許されないのです。教育者としての私の役割は、「常に学び続ける姿勢」を体でしっかりと覚えてもらうことだと考えていました。

 早朝講義では「目上の人とタクシーに乗ったときにどの席に座ればいいか」といった社会常識も学んでもらいました。人間として当たり前のことを、当たり前にできる医師になってほしいとの思いがあったためです。

 病棟のエレベーターは患者さんやご家族が使うためのもの。医師が乗るためのものではない。そんな考えから、教授回診では私も医局員も、12階建ての病棟を階段を使って移動し、患者さんの元へ行きました。

 医局員につらいと感じさせたことが多々あったと思います。でも私は、魅力ある医師とは、全力を尽くして医療にあたる指導者の背中を見て育つものだと信じて疑いません。私自身、当直もしましたし、研修医が書いたカルテもすべて目を通しました。

 これまで研修医に言い続けてきたのは、社会人になること。常に信頼される臨床医になること。教育者となること。学習する習慣、研究心を身につけること。

 そして指導する立場の者には、「教育することの喜び」を感じてほしいと願ってきました。殷の22代王・武丁が残したとされる「教うるは学ぶの半ばなり」という言葉があります。教えること、その半分は自分が学ぶことでもあるという意味です。また、「熟達者の知識の多くは、行為の中に埋め込まれている」という言葉もあります。

 手技や知識の豊富さだけでなく、一つの言葉、一つの行動が、若い医師のその後に大きな影響を与えることがある。それを自覚することが、真のプロフェッショナルだと思うのです。

 2003年、経営難にあった宮崎県立延岡病院の院長になり、職員とともになんとか乗り越えることができた。次に院長職に就いた熊本労災病院では「これを最後に引退しよう」と考えていましたが、縁あって今、市立貝塚病院におります。

 振り返ってみると、理屈じゃなかったと思います。「やってみよう」。ただ、その一心だけだったのかもしれませんね。

市立貝塚病院
大阪府貝塚市堀3-10-20
TEL:072-422-5865(代表)
http://www.hosp.kaizuka.osaka.jp/


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