職員同士の連携を大切に
国立病院・療養所の再編成の方針のもと、1992年、全国でもいち早く統合、新築移転した旧国立南和歌山病院。2004年には「南和歌山医療センター」に改称し、独立行政法人化された。
建設費などの借入金を抱えての独法化だったが、その後経営は持ち直し、2017年には開設25年目を迎えた。中井國雄院長にこれまでの歩みについて聞いた。
◎独立行政法人化その後の試練
田辺病院と白浜温泉病院が統合され、1992年に当地に新築移転。当時、外観などからホテルのような病院と言われたようです。田辺病院も白浜温泉病院も運営は赤字と厳しい状況。このため、再編成の第一号となったようです。
移転当時、周辺には脳神経外科の救急を受け入れる施設がありませんでした。後に院長となった林靖二先生と共に脳神経外科を新設。救急などにも携わっていました。
しかし、和歌山県立医科大学で脳外科の臨床や教育にあたることになり、結局1年半ほどで大学に戻りました。
その後、林院長が定年を迎えられる時に、声をかけられ、2003年9月、約10年ぶりに院長として戻ってきました。
2004年の独立行政法人化によって、病院運営がより厳しさを求められる時代に変化しました。国立病院機構の病院であっても、国からの赤字補填(ほてん)の補助金がなくなり、自分たちの力で利益を出していくことになったのです。
しかも、当院には新築時の建設費(120億円)という借入金があり、現在も60億円を返済中です。
国立病院は、病床数によって、500床以上、350床から500床、そして350床以下と、ランクが三つに分かれています。当院は316床ですから小さい部類。その中でも、特に収入の低い病院だったのです。
◎意識改革への取り組み
そのような状況でしたが、職員たちが「自分たちは変わらなければいけない」という意識を持っていることは感じました。みんな大変真面目に仕事をしていましたし、何より一生懸命でした。
患者さんへの思いやりがみんなに根付いていたのには、当センターの森脇要初代院長の取り組みが大きかったと思います。開設時から、当院の理念を四つのAに込め、これらを病院のスローガンに掲げて、意識改革を進めていたのです。
「明るく」「愛のある」「あいさつを忘れない」。そして、最後が英語でアカウンタビリティー。「説明義務を守ること」です。
◎救急を突破口に
院長として取り組んだテーマは、まず「働かない人の数を減らす」。全員にしっかり働いてもらうことを考え、特に、医師に対しては、細かく指導をしました。
着任直後のことです。出勤後に院内を歩いていましたら、廊下で当直明けの医師と事務職員が話をしている声が耳に入りました。事務職員が「救急の電話がかかってきましたが断っておきました」。これに対して、医師が「ありがとう。助かったよ」。もちろん、救急は事情によっては受けられないこともありますが、その日のケースはそうではない。
翌朝には早速、副院長と事務部長、看護部長を呼んで「今後は当直の時に救急を断った医師がいたら、断ったのが誰か、またその理由も聞きます」と伝えました。これを毎朝やり始めると、「救急は断らない」という意識がだんだんと浸透していきました。
また、2006年には県内3カ所目の救命救急センターの認可を取得。それまでの2カ所は和歌山市内にあったため、当院が紀伊半島南部の三次救急患者を一手に引き受けることになりました。
救急体制の充実をきっかけに入院患者が増加。病院はまるで息を吹き返したかのようでした。ついに2007年ごろからは経常収支も黒字になりました。
救命救急センター化は、医師、特に若手の医師の確保にも貢献したようです。当センターでは、年間約4千台の救急車、ウオークインを含めると約1万人の救急患者を受け入れています。多くの実績を積むことができることが、若手医師には大変魅力的のようです。
私が着任したころは常勤医が45人ほどでしたが、現在はおよそ55人にまで増えました。
こうして、2012年には、南和歌山医療センターの設立から20周年という節目を無事迎えることもできました。創立20周年誌「昇(のぼる)―成人式を迎えて―」も発刊。20年という大きな区切りは感慨深いものがありました。
◎医師全員で当直をカバー
救命救急センターが24時間365日、救急患者を受け入れる体制を維持するためには、当直をする医師が疲弊しないよう、できるだけ彼らの負担を軽くする工夫も必要です。そのためには、多くの医師が当直を助け合う必要があります。
しかし、現実には、当直を免除されている医師もいます。私のような50歳以上の医師たちです。
そこで、この当直を免除されている医師たちを土曜日、日曜日、そして祝日の昼間の日直に当てようと考えました。高齢の医師が担当するのでいつの間にか「シルバー日直」という名前で呼ばれています。
当直をする医師たちが何がつらいと感じているかというと、肉体的なものより「自分だけ忙しい思いをしている」という精神的なものなのです。それを「みんなで助け合いましょう」と声をかけ、私も参加して始めたわけです。
重い荷物であっても、みんなで少しずつ分け合えば軽くなるように、仕事の分担の工夫は大切なポイントだと思います。私が就任した直後の断診率は約30%。それが、今は数%、時には1%未満という月もあります。
◎職員の一体感
365日毎朝8時から実施している「モーニングカンファレンス」も、当院ならではの自主的な取り組みだと思います。
10分程度のカンファですが、毎朝、全診療科の医師やメディカルスタッフが顔を合わせることで、患者さんの情報の申し送りなどが非常にスムーズに進みます。
土日に救急で入院してきた患者さんであっても、翌朝には担当の診療科の医師に引き継ぎができるため、当直の医師にとっては心強いようです。カンファレンスをすることで、他科への理解、職員の一体感が自然に養われていると感じます。
「走る馬は曲がれるけども、走らぬロバは曲がれない」ということわざがありますが、職員にやる気があれば、方向転換はいつでもできます。
やる気のある医師がたくさん集まれば、他のスタッフも一緒に動き出し、やがて好循環が生まれるはずです。
次の課題は、和歌山県南部地域全体の医療を考えることです。その道筋を付けた上で、次の世代に引き継ぎたいと思っています。
独立行政法人国立病院機構 南和歌山医療センター
和歌山県田辺市たきない町27-1
TEL:0739-26-7050(代表)
http://www.hosp.go.jp/~swymhp2/