臓器移植法施行20年
目を向けるべきは?
今年10月、脳死による臓器提供を認める臓器移植法の施行から20年が経過した。施行後初めての脳死判定は1999年2月、高知赤十字病院。脳死臓器提供の累計は485例(2017年11月現在)で増加傾向にあるものの、提供者数は伸び悩む。1例目に携わった西山謹吾医師は、いま何を思うのか。
◎なぜ初志貫徹できたか
実は1999年2月半ば、臓器移植ネットワークの職員と「現在の仕組みのままでは、脳死下の臓器提供など実現しないのではないか」という話をしたばかりでした。それから1週間ほど後に、当院にドナーとなる患者さんがあらわれるとは、思いもしませんでした。
2月22日夜、クモ膜下出血の40代女性患者さんが当院に救急搬送。私が患者さんと会ったのはその翌日のことです。
脳死の可能性が高いことが分かり、ご家族は臓器提供意思表示カードを提出。それまで心停止下での腎提供などは何度も経験していましたので、いつもどおりの対応を心がけ、特別な緊張感もありませんでした。
臓器移植法が施行されて何例目なのかということは、ご家族にも私たちにも、いっさい関係のないことです。目の前にいる患者さんのために、ただベストを尽くそうと思っていました。
ですから、報道陣が大挙して押し寄せ、あんなに大きな騒ぎになるとは思わなかったのです。臓器を提供したいという意思をもつ患者さんとご家族がいる。私たちは受け入れた医療機関としてその思いに応えるべく、摘出の準備を整える。
ご家族も臓器移植については、私たち以上に知識をもっているほど、深い理解を示されていました。本来なら粛々と進んでいたのでしょう。しかし、脳死判定や情報公開のあり方などをめぐり現場は混乱を極めました。
2月28日午後、臓器摘出手術を実施。心臓、肝臓、腎臓、角膜が各地の医療機関に搬送され、移植されました。
後日、ドナーのご家族を訪ね、私は質問したのです。「なぜ、あれだけの騒ぎの中で初志貫徹できたのですか?」と。
「なぜって、臓器を必要としている人がいるのでしょう。だから提供した。それだけです」
臓器を提供したいというドナーの望みを引き継げるのはご家族だけ。そして、あのとき協力できたのは私たちしかいなかった。本当にシンプルな理由だけがありました。
◎賞賛する社会に
50例目も当院でした。マスコミが取り上げた内容は1例目のときと同じです。「詳細は公開されず。正しい脳死判定はなされたのか」―。いまだ報道の中身が変わらないとは、どういうことなのかと感じました。
どうして、臓器提供の意思を貫いたご家族を讃える声があまり聞こえてこないのか。高知県で2例目が実施されるなんて素晴らしいことだ。すごい県民性だと。
脳死下の臓器提供に賛成する人がいる一方で、反対だという人もいるわけです。個人の考えですから、それについて口を挟むことはしません。
ただ、臓器を提供する人がいることで、命が救われている人がいるのは紛れもない事実です。どんなに高度な医療を駆使しても、助かる見込みがないと診断される患者さんがいます。でも、心臓や肝臓を移植されたら、元気に歩き出すまでに回復する。まさに新しい人生が始まるわけです。臓器移植とは、なんてすごいことなのだろうと、驚かされます。そのことに対して、なぜ、社会はもっと賞賛しようとしないのでしょうか。
例えば心臓疾患をもつ子どもが海外に渡り、臓器を提供されて帰国したら、みんなが「よかったね」と迎える。提供された側のことばかりではなく、提供した側のことにも目を向けてほしい。それができない社会のままなら、臓器提供の件数は増えていかないのではないかと思います。
2010年の改正臓器移植法により、本人の意思が不明であっても、ご家族の同意があれば、臓器を提供することができるようになりました。
臓器提供に同意したものの、「本当にこれで良かったのだろうか。間違った判断だったのではないか」と、葛藤しながら暮らしているご家族がいます。
またあるご家族は、自分の子どもが脳死状態になって「臓器を提供することが、この子が生き続けることになる」と考えて決断したと言います。
社会が、「提供した人は素晴らしい人だった」と優しく声をかけることで、ご家族は少しでも救われるのではないかと思うのです。残された人たちは、この先何十年も生きていくのですから。
◎「先生と離れたくなかったんやね」
臓器提供は、医師とご家族との信頼関係がなければ、成立しない医療です。多くの臓器提供の実績をもつ医療機関は、それだけいい関係を構築できているということだと思います。
1例目の臓器移植が終わった後、私は報告などのために、度々厚労省を訪れていました。高知と東京を行き来している期間にも、ある子どもの腎提供を担当しました。
患者さんが亡くなったのは夜中の3時ころ。摘出まで見届けたかったのですが、「申し訳ないが7時の飛行機で東京に向かわなければならないのです」とご家族に告げると、快く送り出してくれました。私は一度自宅に戻り、身支度をして空港に急ぎました。
その後、ご家族から聞いたのですが、実は私が乗っていた便に、その子の腎臓も乗っていたそうです。「この子、きっと西山先生と離れたくなかったんやね」と、ご家族は微笑みながらおっしゃいました。
ご家族が「まだ助かるかもしれない」と希望をもっている段階では、私たちは医学的な説明しかしません。
あるとき、患者さんの性格や好きなものについて、ポツリポツリと話してくれるようになる。ご家族が心を開いてくれるようになって、臓器提供のことを話題にすることができるのです。
世の中が脳死のことを理解し、広く受け入れるようになるためには「脳死にならないための努力を社会がどれだけやってきたか」が問われると思います。
国や医療機関が救急医療システムの充実に力を尽くし、患者さんを懸命に救おうとしたが、それでも脳死になってしまうことがある。そんな理解を得て初めて「臓器を提供して貢献しよう」という考えが浸透していくのではないでしょうか。
人間は誰しも祝福されて生まれてくる。だから亡くなるときにも、周囲の人から感謝されて息を引き取るのがいいのではないかと思っています。
医師は病気やケガを治すことが役割ですが、もう一つ、私はより良い死を迎えるためのお手伝いをすることも大事な使命だと考えています。
悔いの残る死だけはさせたくない。最後の最後まで「できる限りのことをやってください」と心臓マッサージを続けることが、果たして悔いの残らない死になるのか? それは違うのではないかと、いつしか考えるようになりました。
寿命がきたことが分かったら、家族や近しい人が手を握り、温かく見守って旅立ってもらうことが「いい死」ではないかと思う。人を生かすことだけが、医師の仕事ではないはずです。
高知赤十字病院高知市新本町2-13-51
TEL:088-822-1201(代表)
http://www.kochi-med.jrc.or.jp/