時代とニーズを見据えて
「総合診療と専門医療をどちらも経験できる。若手医師にとっては非常に良い環境ですよ」と語る白川和豊企業長。時代の流れを読み、市民のニーズに応え続ける三豊総合病院の取り組みについて聞いた。
―三豊総合病院の地域での役割を教えてください。
当院は三豊市と観音寺市から成る人口12万5500人の三豊医療圏に属しています。
がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病、精神疾患の5疾病と、救急医療、災害医療、へき地医療、周産期医療、小児医療の5事業、さらに在宅医療を担う、国民健康保険診療施設。現在、ICUと救命救急20床、地域包括ケア47床、緩和ケア12床を含む計478床で運営し、病床稼働率は平均80%強です。
医療圏内の公的病院で唯一の救急病院として2012年、「地域救命救急センター」を開設。松井病院(観音寺市)や香川井下病院(観音寺市)とともに、積極的に救急患者を受け入れてきました。
ただ、当院の医師は、研修医を含めて94人。子育て中の女性医師や高齢医師は当直を免除されているため、実際、時間外に対応できるのは50人前後です。
年間1万8000人ほどに上った時間外受診者のいわゆる「コンビニ受診」を減らすため、2016年には時間外選定療養費を導入。その結果、今は約1万5000人にまで落ち着きました。
同時に救急医療に対する啓発活動として、市民フォーラムなどを定期的に開催。当院が抱える課題や現状を市民に知ってもらう努力を重ねているところです。
小児科は、当院小児科医師と地域の小児科開業医、香川大学や高知大学の小児科医師が協力し、毎日午後7時〜同11時に輪番制で小児救急診療を実施しています。それが功を奏し、午後11時以降の小児の受診は減少しています。循環器内科や消化器内科など各専門領域では毎日オンコール体制を敷き、心筋梗塞など、早期に専門的な処置を要する疾患にも迅速に対応しています。
当院は、救急部門だけでなく、がん診療連携拠点病院、へき地医療支援病院など、二次医療圏の基幹病院として、さまざまな指定を受けています。
災害拠点病院として、この地域の拠点というだけでなく、東南海地震が発生した際には、甚大な被害が予想される高知県からの患者受け入れの拠点になることも予想されます。そのためトリアージ訓練など、後方医療支援に備えた訓練を毎年行っています。
それぞれの疾病、事業に対して、人、機材など今ある資源を効率的に生かしながら、さらなる整備と拡充に努め、住民や時代のニーズに応えていく必要があります。
―地域医療について教えてください。
自治医科大学出身の内科の医師が中心となり、病院内の業務と兼務する形で在宅医療に従事しています。訪問看護ステーション、居宅介護支援事業所を併設し、さらには訪問歯科診療や訪問リハビリテーションなども積極的に行っています。
例えば、褥瘡(じょくそう)がひどい場合には、皮膚・排泄ケアの認定看護師や形成外科の医師が訪問。それぞれの職種が専門性を生かし、患者さんを診ています。
看取りにも力を入れ、昨年は年間30人ほどの患者さんを在宅で看取りました。
へき地支援病院として伊吹地区にある伊吹診療所や田野々地区への巡回診療に加え、当院から15kmほどの中山間地、三豊市財田地区(旧:財田町)にある「財田診療所」でも、私を含めた当院の医師が診療を始めました。地区の人口は約4000人。医療機関は、財田診療所のみです。
2年ほど前まで常勤医がいましたが、退職。高齢で遠方へ通院できない患者さんも多く、行政からの要請もあり、当院が診療を引き継ぎました。
内視鏡やCTなどの検査は、同診療所で予約し、当病院で実施。結果説明が後日になる場合は、診療所で伝えられるようにするなど、患者さんの利便性に配慮しています。
在宅や財田診療所での診療には、総合診療的な能力が必要です。高齢化によって多数の疾患を持つ患者さんが増える中、総合診療の力を持つ医師の需要は一層高まるでしょう。
―西讃地域における乳がん診療の礎を築かれました。
私が赴任した1985年当時のこの病院は、外科領域のすべてを「外科」で診ており、肝胆膵領域など診ることのできない疾患は、大学病院などへ送っていました。
しかし、私はこの体制に疑問を抱きました。「地域の患者は大学から医師の派遣を受けてでも、この地域で診るべきではないか」と。そこで、積極的に学会や研修会に参加して学びつつ、肝胆膵などの手術の際は有名術者を招いて指導してもらいました。
一方、当時は乳がん検診が普及し始めた頃で、行政から検診への参加要請もあり、乳腺の診療も開始しました。
当初は一桁だった乳がんの手術件数は、全国的な患者数の増加もあり、およそ30年で、年間50例ほどにまで増加しています。2003年には、香川県乳腺研究会の立ち上げに参加。県独自で乳がん手術例の集計を開始しました。私が担当した第1回のデータは、乳がんり患数の比較などで現在も活用されています。
―早い時期から緩和ケア病棟を開設していますね。
私がここに赴任してきた1985年ごろは、がんの告知や緩和ケアに対する知識も技術も非常に未熟な時代でした。
告知は徐々に患者本人にされるようになりましたが、進行がんの患者さんや再発によって手術で根治できない患者さんが多く、緩和医療の必要性を感じていました。
そこで、緩和ケアの先駆者でもある淀川キリスト教病院現理事長の柏木哲夫先生をはじめ、緩和ケア領域の先人を招き、院内で勉強会を重ねました。それらの活動が評価され、当時の院長の英断もあり、2000年、四国の公立病院では初めてとなる緩和ケア病棟が開設できたのです。
次第に住民の皆さんの理解も得られるようになり、開設初年度に約70人、現在は年間約120人を緩和ケア病棟で看取っています。
―企業長としてどういった仕事をされているのですか。
病院の経営、運営や医師の確保などの人事管理、議会対応などに携わってきました。幸い当院は健全経営が維持されており、経営面での苦労はありません。
香川県国保診療施設協議会の会長としても、さまざまな公的の場に委員として出席し、情報収集の機会を得て、病院の運営に役立てています。
しかし、医師としては臨床に携わっている時の生きがいややりがいは何にも代えられません。現在は週4日、午前中だけ財田診療所で診療しています。やはり「医者」をしている方が気分的に落ち着いていられます。
―今後の展開について教えてください。
三豊市の65歳以上の高齢者の割合は、2015年の時点で34・3%。2040年には39・1%に達すると予想されています。病院の役割は急性期医療の提供が第一義ですが、今後は介護予防を含めた予防医療の提供体制も重要になってくると考えています。
特に、急性期のリハビリテーションを一層充実させ、急性期病棟の患者を、当院の地域包括ケア病棟または地域の回復期リハビリテーション病棟がある病院、あるいは在宅医療へとつなげる必要があります。地域との連携がさらに重要になると思います。
当院では、さまざまな方のアドバイスをいただきながら資金計画を立て、10年〜15年間隔で新築や改築を重ねてきました。
今後はダウンサイズを考慮しながらも、時代の水準に即した良質の医療を提供する体制整備を怠らず、地域住民の信頼と期待に応えていきたいと思います。
三豊総合病院
香川県観音寺市豊浜町姫浜708
TEL:0875-52-3366(代表)
http://mitoyo-hosp.jp/