私の医師人生|第4回 永末 直文氏

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【ながすえ・なおふみ】1942(昭和17)年、福岡県生まれ。1967(昭和42)年、九州大学医学部卒業。同大学医学部附属病院にてインターン。翌1968(昭和43)年、同大学医学部附属病院第2外科副手になる。1969(昭和44)年、済生会八幡病院外科医員を経て、1972(昭和47)年、スウェーデン・ルンド大学に留学。1974(昭和49)年に帰国後、九州大学医学部附属病院、広島赤十字・原爆病院第2外科部長。1986(昭和61)年に島根医科大学助教授就任。以降、同教授、同病院長。2003年、島根大学医学部長に就任。2005年に退官後、医療法人福満会ふくみつ病院院長。2012年に同法人のみつみ介護老人保健施設施設長に就任。現在に至る。趣味は乗馬

 スウェーデンに留学した永末直文氏。

 4回目は帰国直前から広島赤十字・原爆病院への赴任までを描く。

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生体肝移植を受けた杉本裕弥ちゃんと永末医師

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ブタを用いた全肝移植の様子

◎スウェーデンから帰国

 1972(昭和47)年、スウェーデンに留学し、黎明(れいめい)期だった肝臓外科を学んだ永末氏。1年間の予定も終わりにさしかかり、帰国を目前にしたある日、留学先であるスウェーデン・ルンド大学のベングマルク教授に「あと1年残ってくれないか」と言われた。

 しかし送り出してくれた済生会八幡病院(現:済生会八幡総合病院)の廣澤正久院長は、病院屋上に永末氏のための動物実験施設を新設し、帰国を待っていた。「廣澤院長に恩返ししたい」。その思いで、予定通り帰国した。

 済生会八幡病院に戻った永末氏。新しい実験室で忙しい診療の合間に実験を重ねた。

 「胆道閉鎖の子どもに親の肝左葉外側区を移植することは、免疫学的にも好ましく、技術的にも可能ではないか」と考えた時には妊娠した犬を購入。出産させて2カ月ほど育て、母犬の肝臓の一部を切除し、子犬に異所性移植をする実験をした。

 結果はうまくいかなかったが、「九州大学に戻るまでの1年間で、後の肝移植の礎になるようないくつかの実験を、あの実験室ですることができた」と振り返る。

◎九州大学第二外科へのカムバック

 井口潔教授が主宰する九州大学第二外科に5年半ぶりに戻った永末氏に、井口教授は「肝がん治療を中心とする肝臓チームをつくってくれ」と言った。

 永末氏は「肝がん治療が肝切除だけという現状には限界がある。肝移植の研究もさせてほしい」と訴えた。しかし教授は「ただニコニコしているだけで良いとも悪いとも言わなかった」そうだ。

 「おそらく、当時の肝移植の臨床成績を熟知していて、有効な治療法にはなりえないと考えていたのだろう」(永末氏)

 実は、永末氏はスウェーデン留学中にベングマルク教授にも、「なぜ肝移植をしないのか」と尋ねたことがある。「ベングマルク教授からも、否定的な返事しかもらえなかった」という。

◎日本の臓器移植事情

 ここで当時の国内の臓器移植をめぐる状況を整理しておきたい。

 1968(同43)年、札幌医科大学が日本初の心臓移植手術を実施。しかし、この手術が結果的に日本の臓器移植を長らく停滞させることになってしまった。

 手術から83日目、患者が死亡。さまざまな問題点が指摘され、「本当に移植すべきだったのか」「心臓提供者の脳死判定がなされていたのか」など議論が噴出。執刀した和田寿郎教授は殺人罪で刑事告発された(後に不起訴処分)。

 永末氏は「この事件以来、日本の臓器移植は世界から取り残されてしまった」と語る。

 ただ、永末氏は「何で日本人はそんなに移植手術の執刀をむやみに怖がるのだろう」と悔しく思っていた。「怖がって挑戦しなければ、亡くなってしまう患者がいる」。自身は、まだその技術を身につけられていなかった。しかし、「あらゆる準備を重ねれば怖がるべきではない」という信念があった。

 「人がやってから後追いでやるのではなく、新しい治療法を国内から発信したい」という思いもあった。「日本は、医療技術、知識、いずれも欧米の後追いばかり」。その状況が歯がゆかったのだという。

◎広島での出会い

 1980(同55)年、永末氏は広島赤十字・原爆病院に第二外科部長として赴任した。

 当時は、広島県内には肝臓の手術ができる外科医がほとんどいない時代。「たくさんの外科医が私の手術の見学に来ていた」と振り返る。

 肝疾患に興味を持つ内科医を対象とした「肝臓病懇話会」も地域で毎月開催され、永末氏も請われて顔を出すようになった。

 その会には、後に生体肝移植の患者となる杉本裕弥ちゃんを永末氏に紹介した木村直躬医師(当時:広島赤十字・原爆病院内科医)も参加していた。
(次号に続く)


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