公益財団法人聖バルナバ病院・助産師学院 成瀨 勝彦 院長・学院長

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母体を助けるためのメソッドを伝えていく

【なるせ・かつひこ】 東大寺学園高校卒業 1999 奈良県立医科大学卒業 同附属病院臨床研修医 2000 大阪府松原市立松原病院 2001 奈良県立医科大学附属病院2005 英国ニューカッスル大学外科生殖医学講座 2007 奈良県立医科大学助教2013 同附属病院産科医長 2015 奈良県立医科大学講師 2016 聖バルナバ病院院長・助産師学院長

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◎144年の歴史

 米国聖公会の宣教医師であるヘンリー・ラニング博士が、1873(明治6)年に創立しました。場所は大阪市西区の旧川口居留地です。

 当初は産科に特化していたわけではなく、どんな患者さんでも診る「なんでも屋さん」だったようです。

 まだ日本の西洋医学が発達していない時代。医療技術を伝えるとともに、人道支援など、今でいう国境なき医師団のようなミッションもあったのだと思います。

 1923(大正12)年、現在地に移転しました。このあたりは大阪赤十字病院、大阪警察病院、NTT西日本大阪病院(旧:大阪逓信病院)など、古くから病院が集まる「病院銀座」で、経営的には厳しかったと記録されています。

 そこで再建を託されたのが、米国聖公会宣教医師のルドルフ・トイスラー博士。築地病院を聖路加病院(現: 聖路加国際病院)として立て直した手腕を買われて、同院と兼任で聖バルナバ病院の5代目院長を務めました。

 1941(昭和16)年に初めての日本人院長が誕生します。西崎省三院長が7代目に就任し、産科に特化。出生数が増加する時代に符合し、当院の隆盛が始まります。この年の分娩(ぶんべん)数は3605件に上りました。

 しかし、第二次世界大戦が勃発。「大阪大東亜病院」と改称し、外国人の職員も引き揚げさせられました。爆弾も目と鼻の先に落ちますが、運良く別館が焼け落ちるだけで済みました。

 戦後の当院の再興において大きかったのは、併設の助産師学院の存在です。

 1942(同17)年に助産師教育を開始し、1952(同27)年、国の新たな資格制度のもと再スタート。日本の現行制度において、最も古い助産師学院です。

 大阪府助産師会も、奈良県助産師会も、現在の会長は聖バルナバ助産師学院の卒業生です。質の高い助産師教育が、地域の医療機関や住民の信頼を得る生命線になっているのだろうと思います。

 これまでに最も分娩数が多かったのは、1973(昭和48)年の4361件。大阪府下の新生児の2.5%、およそ40人に1人が当院で生まれた計算です。

◎あの夜のこと

 私は1999年に奈良県立医科大学を卒業後、産科の救急に関わりたいと思いながら、婦人科、新生児科など、幅広く臨床に取り組みました。研究は一貫して周産期、妊娠高血圧が中心です。

 転機は2年弱(2005年6月〜2007年3月)のイギリス留学。私が取り組んだ妊娠初期の着床不全の研究は、当時は不妊治療との関連程度しか考えられていませんでした。

 しかし、妊娠高血圧など、産科救急疾患の原因疾患になることを明らかにしました。

 留学前後の時期には国際妊娠高血圧学会(ISSHP)から、2004年、2006年、2008年と、若手の研究者を対象にした賞もいただきました。

 2007年に帰国し、奈良県立医科大学に戻りました。当時、全国各地の周産期医療のシステムは困難な局面に立たされていました。2005年、2006年と、世間を騒がせる死亡事故が相次いだのです。

 私としては「なんとかしなくては」という思いもあって奈良に戻ったわけです。

 ところが2007年8月、救急車で搬送する妊婦を受け入れる病院が見つからず、死産に至る問題が発生。受け入れを断った病院の一つが奈良県立医科大学附属病院で、その日の当直医2人のうちの1人が私でした。

 奈良、大阪の病院は大バッシングを受けました。しかし、奈良県立医科大学産婦人科学教室が、当日の当直医の勤務状況を分刻みで公表することで風向きが変わります。

 緊急の帝王切開、重症患者の手術など、その日は本当に大変な夜でした。

 産科医の現状が知られることで、医師への批判はしだいに収まり、奈良県が医療体制の充実に乗り出すきっかけにもなったと思います。

 いまや分娩数は増えず、維持していくのも簡単ではありません。産科医の数も減っている。

 その中にあっても、奈良県立医科大学産婦人科学教室には、産科医の卵がコンスタントに入局しています。

 聖バルナバ病院が14代目・松尾重樹院長の後任について打診したところ、講師と産科医長を務めていた私に声がかかったというわけです。

 私のポリシーはいかに母体を助け、救急疾患に立ち向かうか。今は、それを若い医師や看護師たちに分かりやすく伝えていくことに関心があります。

 これまでシミュレーション教育を学んだり、日本産科婦人科学会の産婦人科診療ガイドライン作成委員を務めたりしてきました。そのメソッドを、実際の現場にどう広げていこうか。聖バルナバ病院の院長を務める上で、私の一つのモチベーションでもあります。

◎骨の髄まで産科医

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 お産に関する要望は実に幅広い。

 当院では和痛分娩に対応しています。畳の上で出産したい方のニーズを満たすこともできます。

 栄養管理部がありますので、食物アレルギー対応食や、宗教上の理由によるベジタリアンディッシュなど、一人一人にカスタムメードの食事を提供することができます。食育としてバランスのとれた食事をとっていただき、産後にも生かしてもらうことを考えています。

 チャペルがありますから、生まれた赤ちゃんのお祝いの礼拝、残念ながら亡くなった赤ちゃんのお別れの礼拝もします。

 産科に特化した病院として、できることは、なんにでも応えたい。そういう存在でありたいと思います。

 当院は医療のデパート化はしません。

 例えば、早産は淀川キリスト教病院、小児外科は愛染橋病院、母体の救命救急なら大阪赤十字病院。産婦人科領域で豊富な実績を持つ大阪市立大学医学部附属病院や、大阪急性期・総合医療センターも近い。

 大阪府には、日本で最初にできた新生児診療相互援助システム(NMCS)もあります。

 しかるべき医療機関と連携し、当院が質の高い周産期医療のゲートの役割を果たしたいと思います。

 創設者のラニング博士を除いて、、私は歴代の院長、助産師学院長の中で最年少です。

 ママチャリで通勤していて、年齢が近い職員との会話もいわゆる関西ノリ。家に帰れば、3人の男の子の父親です。全員、私が帝王切開で取り出しました。

 やはり、母子が安全なお産が、私の何よりの喜びです。骨の髄まで産科医ということでしょう。

公益財団法人 聖バルナバ病院
大阪市天王寺区細工谷1-3-18
TEL:06-6779-1600(代表)
http://www.barnaba.or.jp/


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