フォーシーズンズレディースクリニック 院長 田畑 愛さん
さまざまなライフステージを経て開業/そして、女性医師の育成、支援へ
現在、日本の医師のなかに占める女性医師の割合は、50代の13.9%に比べ20代では34.8%と、3倍にまで増えている。一方、結婚や出産、育児などで医師のキャリアを手放す女性も少なくない。
女性医師が働き続けるために必要な環境はなにか。今号では、さまざまなライフステージを経て第一線で働く女性医師の生の声を伝え、考える材料としたい。
地震の傷跡がまだ残る熊本城のほど近く、市電「通町筋電停」から歩いて10分ほどのオークス通り。楠の並木と歩道の赤レンガが印象的な通りに面したビルの2階に、フォーシーズンズレディースクリニックがある。
院長の田畑愛さん(49)の一日はあわただしい。朝6時に起きてお弁当を作り、子どもたちを学校へ送り出したあと車で40分かけてクリニックに向かう。学校の長期休みの間は多い時で4つのお弁当を作り、次女が県外の私立中学校に新幹線通学していたころは5時前に起きることも多かった。
午前9時からの診療を終え、帰宅して食事の準備や洗濯など家事を一通りこなすと、やっと一息つけるのは午後10時ごろになる。しかし、あわただしい毎日も、子どもたちが成長して手がかからなくなったぶん楽になったと話す。
熊本大学の同級生である博己さんと結婚した田畑さんは、大学院在籍中に子どもを二人出産する。
当時の熊本大学では大学院生も外来を担当し、当直までこなしていたが、久しぶりの「妊婦大学院生」だったせいで、とくに働く上での配慮もなかったという。
「きちんと要望を伝えなかった私も悪かったのですが、お腹が張っていても、『こんなものだろう』と他の院生と変わらない当直・外来をこなしていました。ところが切迫早産だったため、あわてて入院することになりました」
出産後も、幼い子どもを長時間預けて外来や当直を続けているうちに子どもが精神的に不安定になり、実家に1カ月間預けた際は顔を忘れられて大泣きされたという。夜中に子どもが熱を出したときは車を飛ばして福岡の実家に預け、そのまま仕事に戻った。そんな子育てに関する泣き笑いも、最近になってやっと「良い思い出」と振り返る余裕ができた。
初潮が遅かった田畑院長は、心配した母親に連れられて中学3年生のときに婦人科を受診した。服を脱がされて内診台に横たわる15歳の少女。目の前に立った「おじさん」の医師に、いいようのないショックを受けたという。「あの時、『女のお医者さんだったらよかったのに』って感じたことが、医師を目指す原点だったと思います」(田畑さん)。
クリニック名の「フォーシーズンズ」は、女性の一生における4つのステージ(思春期、性成熟期、更年期、老年期)を指し、心身の急激な変化にとまどう女性を医療面から支えたいという思いをこめた。相談しにくい悩みでも、「同性だからこそ寄り添うことができる」と、女性医師の育成や支援にも積極的だ。
母校の修猷館高校で医学部を志望する生徒の前で講演した時は、40人中38人が女生徒だったという。講演後は成績の悩みとともに結婚相手や県外に出るべきかどうかについても相談を受けた。
3年前には、熊本市医師会の理事から勧められ、補助を受けて産婦人科の女性医師の集まり「JOY会」を立ち上げた。20代前半から50代後半までの会員十数人が、年に3、4回集まって勉強会を開催する。懇親会では、仕事の話題に加えて子どもの塾選びやプライベートの相談など、ざっくばらんな話題に花が咲く。
田畑院長は、子どもを持つ女性医師の支援について、「むしろ学童期を充実させるべき」と問題提起する。「私自身、学童保育の時間が短いために調整で苦労しましたが、アメリカではYMCAなどが中心になってアフタースクールの充実に力を入れています。これは非常に助かりましたので、日本でも取り入れるべきだと思います」
超楽天的と自己分析する田畑院長。医師職は、少し無理をしてでも続ける価値とやりがいがあるという。
「とにかく健康であること。そして、良い意味であきらめが良くなること(笑)。まわりに期待しなくなったら楽になりますよ。そして、子どもがいるのなら、子どもが楽しい時間を送れることを最優先する。それだけ気をつけていたら、あとのことは案外どうにかなるものです」