松阪市民病院 桜井 正樹 院長

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切磋琢磨で市民の安心を

長野県立上田高校卒業 1977 東北大学工学部通信工学科卒業 1984 三重大学医学部卒業 同附属病院医員 同大学大学院 1982 松阪市民病院泌尿器科科長2004 同副院長 2016 同院長

 三重県の松阪地域ならびに南勢志摩医療圏の中核病院として70年の歴史を持つ松阪市民病院。今年4月に院長に就任した桜井正樹院長に話を聞いた。

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ー院長就任から約半年、今の思いは。

 24年前から、当院の医師として臨床に携わり、12年前には副院長職に就き運営にも関わってきました。院長という立場になって大きく変わった点は、大学や医師会と関わることが多くなったことでしょうか。

 松阪市の医療の特徴は、半径3kmのエリアに三つの中規模な病院があること。440床の三重県厚生農業協同組合連合会松阪中央病院、430床の済生会松阪総合病院、そして328床の当院です。

 当市では、その3病院で夜間、休日の2次救急を分担する輪番制がとられています。このため、当番病院以外の2病院では医師が休むことができます。全国的にも珍しい取り組みですが市民にとっては大変安心できるシステムです。

 ところが十年前、当院の医師が相次いで辞め、2日間だけですが、救急ができないことがありました。医師会の先生方に助けてもらうことで乗り切りましたが、救急を受け入れられないことが、こんなに大変なのかと実感しました。救急体制を市民病院として守っていくことは、第一の目標です。

ー課題は。

 地域医療構想への取り組みを今後どうするのかが、今一番頭の中を占めていることです。

 構想では、急性期の病床を減らすことが目標の一つですが、病床が減るということはつまり医者も減ってしまうということ。急性期の医師が減った場合、2次救急を回せていけるのだろうか。そんな不安も生まれます。

 また、患者さんを地域に戻すということが前提の制度設計ですから、地域に戻らなければならない。それを守る地域包括ケアシステムがうまくいくのか心配ですね。

 松阪市でもこのほど、医師、ケアマネジャー、看護師などの専門職が200人ほど集まり、20班に分かれて地域包括ケアシステムの具体的な活動について話し合う機会を持ちました。2025年までに、多職種が連携をしながら、システムを構築していくことになります。

 当院も2病院と連携しながら地域医療を守っていきます。

ー在宅医療への取り組みもされているそうですね。

 当院には、訪問看護ステーションがあります。16年前、この訪問看護(当時は院内の一部署)の立ち上げに携わりました。きっかけは、看護部からの提案からでした。看護部として、地域で訪問看護を始めたいので、協力してほしいということでした。

 訪問看護は訪問看護で売り上げを上げていく必要がありました。

 そこで、まずはどの程度の訪問看護をすれば収支のバランスがとれるのかをシミュレーション。それによって、70人の訪問看護を引き受け、一週間に一度、朝9時に病院を出て夜7時、8時に戻るというスケジュールをこなしました。

 皮膚科、眼科などの医師にも協力してもらいながら取り組み、訪問看護によって、地域の在宅医療の事情への理解も深まりました。

 その後、7対1看護加算を算定するためと、病診連携を推進するために陣容を縮小しました。当時は在宅での終末期診療がまだ一般的でなく、また当院の緩和ケア病棟に入院するまでの安心のために訪問看護を在宅の看取り、緩和ケアに特化させましたが、最近、在宅看取りをするクリニックが2院できたので、そちらにお願いすることも多くなりました。

ー今後注力すること。

 当院の呼吸器センターは、肺がんの治療件数が三重県内でトップ。米国ベストドクタース社選出のベストドクターにも選ばれた畑地治先生を中心に治療にあたります。併せて、循環器科、消化器内科も高い専門性で実績を挙げています。課題は総合診療医の不足ですので対応が必要です。

 診療に関しては、今後も考えられるすべてに対して手を打っておかなければならないと思います。

 基本的には、患者さんに信頼される医療をしなければいけません。総合的なサービスの勝負になると思います。

 職員には、自身や大事な家族が入院してもいいと思えるような病院に変えていく努力をしてほしいと伝えています。

 また、地域の3病院が常に切磋琢磨(せっさたくま)をしていますので、市民にとっては大変恵まれた環境だと思います。

ー東北大学工学部卒業という経歴をお持ちです。

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 入学したころの工学部は、大変もてはやされていましたが、1973(昭和48)年に勃発したオイルショックからの不況で、1977(同52)年の卒業時には、就職がなく、進路を見直した人が多くいました。

 3年時に、就職活動として、企業に勤務する東北大学の先輩を訪問するという催しに参加しましたが、自動車メーカー、電気メーカーは大変不景気で、訪問の際に、その空気を直に感じました。

 そして、いくら自分が頑張っても、世の中の流れによっては、どうしようもなくなることがあるのだと実感しました。

 また、在学中、電気通信部門は、あまり自分に合わないと感じるようになりました。人を相手に、みんなの喜ぶ顔を見られる仕事はないかと考えるようになり、最終的に、医師を選んだのです。

 今でも、東北大学時代同じ下宿だった7人の同級生と毎年同窓会を続けています。職種は流通、自動車、機械などみんなばらばらですが、一般企業での厳しい状況や苦労というのがよくわかります。

 今は医療を取り巻く環境も厳しさがありますが、文句を言ってはいけないと自戒していますよ。

松阪市民病院
三重県松阪市殿町1550番地
TEL:0598-23-1515(代表)
http://www.city.matsusaka.mie.jp/www/toppage/1002000000000/APM03000.html


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