未来への土台作りが使命
名古屋市立東部医療センターは、1890(明治23)年に愛知県から伝染病隔離病舎を引き継ぎ、1905(明治38)年に名古屋市伝染病院へと改称。1957(昭和32)年に名古屋市立東市民病院へと改称し、現在の地に改築移転した。
そして2011(平成23)年、名古屋市立東部医療センターへと名称を変更し、現在に至っている。
田中宏紀病院長に病院の特徴や今後の抱負などを聞いた。
救急・外来棟が開棟
院長になる前の2年間は名古屋市立西部医療センターに勤務していました。ただ、それ以前の25年は、ここ東部医療センターで外科医として勤務していました。
これから病院が生き残っていくためには、特色を打ち出していかなければなりません。西部医療センターでは、小児医療、周産期医療、がん医療に力を入れています。一方、私たち東部医療センターでは救急医療に力を入れています。
大規模改築の第一段階が終わり、昨年の3月末に新しい救急・外来棟が開棟しました。1階は救急患者に対応する処置室(6室)と診察室(7室)があり、CTや血管造影などにも即座に対応が可能です。また16床の入院病床もあり、1度に4台の救急車の受け入れが可能です。
2階は一般外来を配置。3階にはICU、CCU、HCUなど重症患者対応の病床を16床用意、手術室は10室で、そのうちの1室はハイブリッド手術室です。
救命救急センターの指定を目指して
昨年の救急車の受け入れ台数は市内で3番目に多い7315台。2011年が4700〜4800台だったので、右肩上がりに増加しています。
救急の現場は目が回るような忙しさです。しかし、「地域の救急を支えているのだ」というプライドが、みなさんのモチベーションにつながっているように感じます。
今後の目標は救命救急センターに指定されることです。救急に力を入れていく以上、一番上のグレードを目指すのは当然のことです。救命救急センターになることで、病院の魅力が高まり、スタッフが集まってくれ、より良い循環になっていくのではないでしょうか。
災害に強い新病棟の建設
救急・外来棟は完成しました。次なる目標は新病棟の建設です。今の病棟は築40年弱、老朽化が著しく、手狭になっています。廊下は狭く、患者さんの出し入れをするのも一苦労です。新病棟は廊下も広く、動線にも工夫をしますので、そんな苦労からも解放されます。
順調に進めば来年から工事が始まり、2019年の完成を予定しています。
新病棟は8階建ての免震構造、災害用ヘリポートの設置も決まっています。
東海地震が起こると名古屋市南部の病院は津波被害を受け、機能停止することが予想されています。そうなった場合、約1500床分を当院を含めた名古屋北部の病院で引き受けることになります。何としても大地震に耐えられる強い建物を造らなければなりません。
伝染病への対応
当院は100年以上前に県から伝染病隔離病舎を引き継いだことから始まり、現在も10床の陰圧個室病床を有し、二類感染症を担当する第二種感染症指定医療機関に認定されています。
2009年の新型インフルエンザ流行時も名古屋市の初動病院として機能しました。
今後発生が予想される、ほかの強毒素型感染症に対してもこの病床で対応していきます。
TOBUネットの運用
今年度から地域医療連携システム「TOBUネット」の運用を開始しました。
これは当院と地域の病院とをネットワークで結ぶ取り組みです。クリニックから紹介した患者さんのカルテをネットで閲覧したり、ネットで当院の診察や検査の予約ができるようになります。
このシステムによって、これまで以上に円滑な病診連携が可能になることを期待しています。
医師確保のために
私は現在63歳。定年まであと1年半です。それまでに少しでも医師不足を解消したいと考えています。
医師が、設備や教育、労働環境が整ったところに行きたいと思うのは当然のことです。
西部医療センターは、比較的人員にゆとりがあります。その要因は、ある程度落ち着いて働ける環境だということも影響していると思います。
一方、私たちは救急病院です。救急の現場は過酷です。若いうちはともかく、一定の年齢を重ねると身体的にも精神的にも辛くなってしまいます。
今後、病院が医師を確保し、生き残っていくためには病院の魅力を、外に向けて積極的にアピールすることが必要で、そのための土台作りをすることが私の使命だと考えています。
名古屋市立東部医療センター
名古屋市千種区若水1丁目2番23号
TEL:052-721-7171(代表)
http://www.higashi.hosp.city.nagoya.jp/