社会医療法人 仙養会 北摂総合病院 木野 昌也 理事長・院長

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チーム医療は院内も、院外も

大阪府立大手前高校卒業 1971 大阪医科大学卒業 同大第三内科研修医1973 米国・タフツ大学医学部、米国・ハーバード大学医学部留学 1977 大阪医科大学第三内科 1981 同内科病棟医長・医局長 1986 北摂総合病院院長 2014 医療法人仙養会北摂総合病院理事長

 大阪、京都の中間に位置し、ベッドタウンとして発展を遂げてきた高槻市。周辺には大学の附属病院など名だたる病院がある中、大阪府のがん拠点病院に指定されるなど高い実績を挙げてきた北摂総合病院の木野昌也理事長・院長に話を聞いた。

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■50周年を経て

 当院は、1965(昭和40)年に開設され昨年50周年を迎えることができました。前身となる「芳川医院」を1958(昭和33)年に設立したのは、初代理事長・院長となった私の叔父で小児科医の芳川仙作です。

 叔父は大変ユニークな人物で、元々は僧侶を目指して龍谷大に入学しましたが在学中に結核になり、これを転機に大阪医科大学(高槻市)に入学しなおして、医師になったという経歴の持ち主です。

 当時、近くに阪急電鉄が中心となって、開発した総持寺団地ができ、周辺人口は急増しました。

 このため、叔父は地域に本格的な病院が必要と考えて北摂病院を設立。1968(昭和43)年には高槻市で初めての総合病院となりました。病院の名前は、当時高校生だった私も参加し、家族会議で決めたものです。高槻病院という案もありましたが、より広い地域から患者さんに来てもらおうと考え「北摂」に決まりました。

 実は、高校時代は外交官になろうと考え、神戸の領事館に勤務する方に英語を習ったりもしていました。しかし叔父を訪ねて病院に出向くうちに「医者って格好いいな」と思うようになり、叔父の母校である大阪医科大学に入学しました。

 医学部の学生時代は当院の検査室を手伝ったりしていましたが、自分なりの夢があり、ここに勤務するという考えはまだなかったですね。

 叔父は対外的な活動にも熱心で、特に救急体制の整備に注力。高槻市医師会とともに3次救命救急センター(現高槻島本救急医療センター)設立に動きました。

 しかし病院は、というと外来は多かったものの、経営は厳しかったようです。

 1967(昭和42)年には、タクシー会社を経営していた私の父・木野猛が経営をサポートするため、理事長となりました。当時55歳の父が全くの異業種から参入し、医者を率いていくのは並大抵の苦労ではなかったと思います。

■アメリカでの確信

  1971(昭和46)年に医学部を卒業し、大学病院での初期研修を終えると、私は念願のアメリカに留学。研究や医師の教育に興味を持ち、ボストンで大学附属病院に勤務しました。附属病院といっても、日本のように大きな病院があるのではなく、地域の関連病院と契約し、そこで臨床にあたる形でした。

 留学を前に、私はあるジレンマを抱えていました。勤務していた附属病院は1千床規模。当時は、医師を中心にした医療が当たり前で、医師が他のスタッフと一緒に仲間となって患者さんを支え、喜びをみんなで共有したいと考えていた私は、思いを否定されたような気持ちでした。

 ところが、アメリカの病院では、どの人が医師か看護師かもわからないくらい、それぞれの医療スタッフが自信を持って仕事に取り組んでいる。「やりたかったことはこれなんだ」とアメリカで確信しました。

■目指していくもの

 帰国後、大学病院に戻りましたが、父に当院の運営に携わるよう3日間にわたり説得され、39歳で病院長に着任しました。

 考えていたのは、良い医療を提供をしようと思ったら、「自分が診てる時だけ良ければいい」という考えではなく、関わるスタッフ全員が力をつけていかなければならないということ。そのためにも、院内のチーム医療も、院外でのチーム医療も重要だと思います。

 院内では、院長回診にメディカルスタッフを随行し、ベッドサイドに一緒にいくようにしました。患者さんと話しながら、私がスタッフに質問しますので、常に勉強しておかなければなりません。

 また、毎年恒例で、米国・ハワイ大学の関連病院にメディカルスタッフを同行させて、そこで医療サービスについて研修させたこともあります。最先端の医療を知ることで「院長はこういうことを目指しているんだ」と理解してもらうことができたと思います。

 一度心に火が付いたらみんな燃えますね。今では私があれこれ言わなくとも、自主的に考えて行動してくれますよ。

 1985(昭和60)年には「臨床心臓病学教育研究会」を設立し、循環器疾患に携わるスタッフの教育を始めました。研修には全国から受講者が参加してくれています。院内だけでなく院外のメディカルスタッフの教育にも、引き続き取り組んでいきます。

■地域の急性期医療を支える

 私は常日頃、開業医の先生方に「開業医の先生は地域の外来担当、われわれは地域の入院担当」とお話ししています。自分たちの病院だけで患者さんを抱え込むのではなく、地域の役割分担を考えて、開業医との連携を強化してきました。

 院長就任後に立ち上げた地域医療連携室の活動によって、地域の開業医、約400施設に当院の登録医となっていただくこともできました。これに伴って、外来で1千人いた患者さんの半分程度を、開業医の先生にお願いすることができました。

 開業医の先生方からの紹介も増え、それに伴い、急性期病院としての専門性を高めることができました。当院は、217床と、決して規模的には大きくはありませんが、臨床研修病院、地域医療支援病院、大阪府がん診療拠点病院の指定を受けています。 

 私は、当院の競争相手は大学病院や国立病院だと思っていますし、当院の医師やメディカルスタッフも同じように考えてくれていると思います。日本でもトップクラスの病院と肩を並べることにやりがいを感じ、みんなが自己研さんすることで今のレベルを維持できているのだと思います。

 今は、当院に来てよかったと心から思いますし、自分のやりたかったことを実現できています。今後は、地域包括ケアなど新たな課題もありますが、地域の医療機関と連携していきながら乗り切りたいと思います。

社会医療法人 仙養会 北摂総合病院
大阪府高槻市北柳川町6丁目24番地
TEL:072-696-2121(代表)
http://www.hokusetsu-hp.jp/index2.html


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