特定医療法人 衆済会 増子記念病院 両角 國男 理事長

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次代を担う"増子記念"を構築

愛知県立中村高校卒業 1973 名古屋大学医学部卒業 名古屋港湾福利厚生協会臨港病院 1976 名古屋大学医学部第三内科1983 名古屋市立大学病院人工透析部講師・助教授 1990 スイス・バーゼル大学病理学研究所 2002 名古屋第二赤十字病院腎臓内科部長・副院長 2014 増子記念病院理事長〈兼任〉名古屋市立大学医学部臨床教授(2002 ~ 2015) 名古屋大学医学部臨床教授(2006 ~ 2014)

 1946(昭和21)年、名古屋市に開院した増子記念病院は肝臓分野と腎臓分野の専門病院として発展。地域はもとより、医療界をけん引してきた実績を持つ。歴史を生かしながら、次の時代にも社会に貢献する病院を目指し、変革を進める両角國男理事長に話を聞いた。

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■増子記念病院の歩み

 当院の創立者である増子六郎先生はクリスチャンでもあり、その哲学は「求むるは成功にあらずして正義なり。」です。医師にとって大変メッセージ性のある言葉ですが、それが当院のバックボーンにあります。

 長男の和郎先生は名古屋大学医学部出身で、肝臓病の大家です。アメリカ留学時には、肝臓病の世界的権威であるポッパー教授の指導を仰ぎ、増子医院に「増子研究所」と看板を掲げるなど研究熱心で、肝炎のウイルスに関するテーマなどで数多くの論文を発表しました。

 1972(昭和47)年に、肝臓病の専門病院として新病院建設を計画したのですが、その際に、名大第三内科が血液透析ができる病院を探していたことから相談を受け、一フロアを増設し透析専用にしました。当院で血液透析を開始以来、肝臓病、腎臓病の専門病院として発展できました。

 特に腎臓病では、「日本透析医会」の第三代会長になった前院長である山﨑親雄先生の尽力や、名大との連携もあり、当院の透析治療は「増子病院で名古屋方式を学び良質な透析医療を学ぼう」と言われるほど先駆的で、国内でも注目されました。

 なかでも高く評価されていたのが、開院当初から多職種によるカンファレンスを実践していたことでしょう。

 私自身大学卒業後に研修で訪れましたが、カンファで山﨑先生をはじめとする医師に看護師や栄養士が「それは違うのではないでしょうか」ときちんと意見を言っていました。今では「チーム医療」という言葉が当たり前となりましたが、この考えは、透析医療の現場から始まったのではないかと私は考えています。

■病院の未来を託される

 日本で血液透析療法が更生医療の適応になったのは、1972(昭和47)年です。当時の医療費のシステムは、被保険者本人は0割負担、家族が5割負担でした。血液透析にかかる費用は1人1カ月80万円程度。被保険者本人か資産家ぐらいしか、治療を受けることはできず、そのころの透析患者は日本全体で約3600人でした。

 しかし、1972年に透析患者が更生医療の対象となったことで、全ての維持透析患者さんの医療費自己負担がなくなりました。これを受けて、透析患者数は急増、毎年1万人程度増え、現在、32万人が透析を受けています。

 今も、透析医療は進化し続けてはいますが、維持血液透析療法は標準的腎代替療法として確立したレベルにまで進んだと考えています。このため、腎臓病の専門病院が生き残りを図るためには、一般医療として定着した透析医療を核に、今後の医療ニーズに適合するよう病院を新たに変化させることが必要です。

 2年前に、当院の理事長を依頼された際、「国内をリードしていたかつての増子記念病院のように、活気ある増子に戻して欲しい」と言われました。透析医療を柱にしながらも、次世代にも必要とされる病院への変革が必要とされていました。

■新たな取り組みに着手

 国内の透析医療をけん引した当院の原点は何か。当院が果たすべき役割は何か。それを考えるのが今の私の仕事です。

 私は腎臓病を治す、あるいは悪化させないという考えをもとにこれまで臨床や研究にあたってきましたので、まずは、この考え方を当院の基本にしたいと考えました。

 具体的には「腎臓病総合医療センター」構想として、関連診療科をセンター化し、すべての腎臓病治療と腎移植もできる病院を目指し、昨年は生体腎移植を3例実施しました。

 また、透析の方法も標準的透析に加え、長時間透析、深夜透析など、患者さんのニーズに合わせて幅広く行うため、本院の透析室を四つに分けました。

 標準的な維持通院透析は、治療が長期間にわたり原則毎週3回、同じメンバーが顔を合わせることになります。

 このため、患者さんの精神的サポートは最も大事な問題で、医療者のサポートももちろんですが、患者さん同士が一体感を持って治療に取り組むことも大切なポイントです。

 スタッフのレベルアップも重要な課題です。医師、看護師、臨床工学技士、管理栄養士、理学療法士などが、1年間かけて腎臓専門知識を持てるようなプログラムを作りエキスパート育成を行っています。

 衆済会の理念は「患者とその家族、職員とその家族の幸せのために」。この理念を元に、医療を通して社会貢献をします。そして、それを守るのが私の役目です。職員が胸を張って仕事をやれるような病院であり続けたいですね。

■医師としての喜び

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 医師になって7年目に、私は名古屋大から名古屋市立大に異動し、腎臓内科の研究室立ち上げに関わり、その後は二つの大学の臨床教授も兼任しましたが、そのようなケースはかなり珍しいことです。

 日本を代表する腎臓病総合医療センターを有する名古屋第二赤十字病院にも勤務しましたが、三つの組織で出会い、交流することで得られた社会的・人的ネットワークは財産ですね。

 ともすれば暗くなりがちな慢性の病気である腎臓病ですが、私の腎臓病専門外来の雰囲気は昔から明るいと言われます。

 私自身が、患者さんに癒やされ、また患者さんも「先生に会うと元気になれる。今度来るまで元気でいます」と言ってくれる関係ができているからでしょう。専門性の高い医療を進める中で、「こんな診療もあるんだ」と職員が感じてくれるような優しさを感じる診療を、緩やかに、かつ信念を持って続けたいと考えています。

特定医療法人 衆済会 増子記念病院
名古屋市中村区竹橋町35番28号
TEL:052-451-1307(代表)
http://www.syusaikai.com/

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