行き場のない人にも住む場と医療を提供
―医師として33年間モットーにしてきたことは何ですか。
本当は、動物学者になりたくて、京都大学でゴリラなどの類人猿の研究をしたい気持ちもありました。しかし、地元の岡山県で父が開業医をしていたこともあり、医師の道へ進みました。
岡山大学の麻酔科に入局し、最初に救急医療を学びました。交通事故に遭った患者さんなどが多く運ばれて来ますから、専門にこだわることなく、どんな症例も診ていたのです。そうした状況の中、麻酔科医としての仕事だけでは十分でない気がし始めて、「手術もできた方がいいな」という気持ちが徐々に湧いてきました。
すると、外科の教授から「君、うちへ来ることになってるからね」というお話をいただいて、第二外科に移りました。後で聞いたのですが、どうも私のいないところで医局間の話がついていたようです(笑)。
専門は外科ですが、目を傷めてしまったので、現在は麻酔科のときにやっていた全身管理に従事しています。
医師になって一番初めに身に付いたのは、「何が何でも目の前の患者さんを助ける」という気持ちです。
目の前にいるすべての患者さんに、何とか生きてほしい。何とか元気になってほしい。医療従事者なら誰でも、患者さんの身内の方と同じように感じる心が大切だと思います。
職員たちにはいつも「患者さんに好意を持て」と言ってます。お世話をしていると、自然に愛情が湧いてくるものです。この患者さんのことが「好き」という気持ちさえあれば、最善のお世話ができると思います。
こう言ったら失礼かもしれないですが、ずっとお世話をしている患者さんを、いとおしい、かわいいと思う気持ちが大切なのではないでしょうか。
―地域における貴院の役割をどう思いますか。
倉敷地区は、倉敷中央病院、川崎医科大学附属病院など、先進医療を実施している大規模な病院が多いエリアです。この地域の急性期医療は十分に足りていると思います。
当院は私の父が創設して30年ほど経ちます。私が帰ってきた1988年ごろは、「病院=急性期」というイメージが強く、父もそこに参入しようとしましたが、実際には難しかったようです。
最近よく言われる「役割分担」という考え方からすると、うちは慢性期病院としての役割が求められているのだと思います。ただ、私は麻酔科・外科医としての経験もありますので、十分な治療を提供することができる慢性期病院でありたいですね。
当院は、一般病棟39床、療養病棟入院基本料1の療養病棟74床で、2015年5月には、一定の在宅復帰の実績を有する病院と評価され、30床は「在宅復帰機能強化加算」の施設基準が承認されました。他院の急性期病棟や地域包括ケア病棟との連携をさらに強化し、在宅復帰を希望される患者さんの転院先として、役立てていただけると思います。
また、関連施設には、まだまだ治療が必要な患者さんで長期入院ができない、そうした方々を受け入れるサービス付高齢者住宅「メディカ倉敷北」もあります。今のところ入居者数には余裕がありますが、超高齢化が進んでいますので、今後はそうした施設の需要も高まってくると思います。
急性期病院を退院したものの、自宅に戻るまでは回復できていない方、まだまだ治療が必要な方を受け入れる病院として、地域の方々に選ばれる医療・サービスの提供に努めていきたい。そのためにも、この病院だけでなく、地域での役割分担を考えなければいけません。
―現在の課題は。
周辺の医療機関との連携がまだ十分でないことです。例えば、他院の患者さんで、もう退院できるけれど、転院先が見つからないといった場合に、そうした患者さんをうちのグループで受け入れる仕組みができていない。それにはまず、他院とのパイプラインを作る必要があります。
しかし、双方の状況を十分に把握し、転院までの流れをコーディネートできる人材が不足しているのが現状です。
また、医療者が不足している倉敷地区ですが、幸いなことにうちでは病院の運営に必要な人員は何とか確保できています。ただ、高齢で寝たきりの方が多く、人手が掛かるため、人員を増やしたい。医師についても、昼はどうにか足りていますが、夜間が足りていないので、まだ完全に充足しているとは言い難いですね。
今後は、看護学校などの教育機関と提携し、安定的に人員の確保ができる仕組みづくりも進めていきたいと思います。
―今後の展望は。
現在、有料老人ホームに入所するには、一カ月約15万円。医療サービスがついたサ高住であれば22~23万円くらいかかります。月10万円ぐらいで入所でき、医療者によるケアが行き届いた施設をつくりたいですね。
行き場のない人にも住む場と医療を提供することで地域に貢献したいと考えています。