ホスピタルアートで堺市のシンボルに
戦後間もない66年前に、貧しくて病院にかかれない人たちの100円募金や有志の医師の努力で開設されたという経緯があります。
以降、苦しい経営状況が続く中で、セラチア菌による院内感染が2000年に起こるなど、大きな危機もありましたが、地域の方々や「耳原友の会」の皆さんに支えてもらって今日まで継続してきました。日本医療機能評価、ISO9001、無料低額診療、緩和ケア病棟新設など、この地域で安心して暮らせるための医療体制づくりの先頭に立ってきたつもりです。
今は地域医療連携支援病院として、地域を支援し、支援もされるハブ機能を持った病院です。
新病院(2015年開院)に建て替える際、ドイツの歴史学者が「17、18世紀は教会が、20世紀は銀行が、21世紀は病院が街のシンボル」になると言った言葉を知人から聞きました。
当院のある堺市は、安土桃山時代から貿易港として独自の発展を遂げ、仁徳天皇陵もあるという土地柄ですから、文化的で新進気鋭な町にふさわしい、シンボルとしての病院をどうつくるかを法人全体で考えました。
そんな折、卒業して2年目の看護師から、ホスピタルアートを導入してはどうかと提案されたんです。そして新病院建設事務局のスタッフとセラピストの2人が、アートミーツケア学会(=鷲田清一学会長/京都市立芸術大学理事長・学長)を見つけ、そこを介してNPOアーツプロジェクトを紹介してもらったんです。彼らと出会うことで、ホスピタルアートの第一人者、森口ゆたか近畿大学文芸学部教授の話を聞き、実績も見せてもらいました。
そこで私は思ったんです。われわれが取り組んでいる、無料低額診療で個室料金をいただかない当たり前のことがどんなにすばらしいか。決して派手ではありませんが、いろんな人にこの病院を見てほしいという思いを強く抱きました。さらには英国のチェルシーアンドウェストミンスター病院に本物のアートがあることで、その地域の青少年の情操に好影響を与えていることも知りました。
アートを導入する際に気を配ったのは、来院者にアートを押し付けるのではなく、ふと気がついたらそばにアートがあった、つまり、さりげないアートであることです。
そして今は、前意識化に刺激を与える音楽を、京都精華大学人文学部の小松正史先生にも入ってもらって監修をお願いしています。アートと同様、さりげない豊かな音楽が来院者の心に満ちてくれたらと思います。
当院は回復リハを持っていますし、緩和ケア病棟もあります。産婦人科への需要も急激に高まっています。さらに当院の病院給食(治療食)は自前の職員が作っているんですよ。経営の上では厳しいですが、病院の衣食住に手を抜きたくないんです。有機野菜もたまに出していて、先日ちょっと調べてみたら、特別食加算は全国3位でした。食アレルギーもそれぞれ聞いていますから、何十万食というパターンを栄養士と調理師ががんばってやってくれているんです。こんなところにこだわっている路線はずっと続けていこうと思っています。
5つの臓器別センターと総合的サポートセンター
当院には循環器、消化器、腎・透析、総合診療、がん支援の5つのセンターがあり、患者さんの想いを受け入れること、多科、多職種でのカンファレンス、ケアプロセスの充足を目指しています。
また病院1階にあるサポートセンターは、患者さんや家族、地域の方々、開業医の先生方からの問い合わせを、ワンストップで事足りるように多くの窓口が集合し、当院の売りの部署となっています。
(奥村伸二病院長談)