南坊流教授者 平野 宗祥 さん

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「茶道の学びを、生活に生かして」

【ひらの・そうしょう】本名:祥子・しょうこ。福岡市出身。筑紫女学園短期大学部卒業。茶道南坊流教授者。福岡市内の社会福祉法人で介護支援専門員(ケアマネジャー)も務める。

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南坊流とは

 福岡藩家老立花実山( たちばなじつざん)を中興の祖とする茶道の流派。家元制を持たず、本部を櫛田神社に置く。実山は、茶人・千利休のわび茶の真義を伝えるために弟子の南坊宗啓禅師が書き残した「南方録」をもとに南坊流をおこし、自らが筑前で広め始めた。今も博多を中心に、受け継がれている。

 「お茶室に入る時は左足から踏み込み、右足から出る」「お点前(てまえ)は背筋を伸ばして自然体で」と一人一人の美しさを見つける指導をする。

 福岡市内の茶室で、毎月定期的に行われる茶道の稽古。弟子たちの動きや所作に目を配りながら声をかけるのは南坊流南坊会教授者の平野宗祥(本名・祥子)さん(52)だ。

 平野さんの本職は、ケアマネジャー。平日は、介護の仕事に従事し、週末に茶道の指導に当たる生活を、10年近く続けている。「茶道で身に付いた、相手に敬意を持って接する意識は、利用者や家族、医療者、事業所などと信頼関係を築くことにつながっています」と平野さん。

 茶道で磨かれた観察眼や洞察力で利用者の小さな変化に気付き脳梗塞を早期に見つけたこともあったという。

 平野さんが茶道に興味を持ったのは、小学6年の時。男性担任教諭の言葉遣いや所作の美しさに心ひかれた。

 その理由が、「担任のお母さんがお茶の先生」と別の教諭から聞き、お茶への憧れが芽生えた平野さん。大学生の時、かつて母親が指導を受けた茶道南坊流の師匠に三姉妹で入門した。

 始めたばかりのころは、人が「おいしい」とお茶を飲んでくれることがうれしくて、何度も練習をした。大学卒業後、就職や結婚、出産など生活スタイルの変化や夫の転勤に伴う引っ越しもあったが、茶道は続けた。

 福岡を離れた時期も、実家に帰省すると必ず稽古に。「学べば学ぶほど、茶道の奥深さを知り、地元博多の文化に対する興味も深まる。すると、さらに学びたくなり、辞めたいとは一度も思わなかった」という。福岡で学び続け、先に教授者の看板を取得した妹たちの存在も大きかった。

 平野さんにとって、茶道の一番の魅力は、茶事を通して得る、人と人との心のふれあいだ。「亭主は一服のお茶を飲んでいただくことに心を尽くし趣向を凝らす。客もまた亭主の思いを察して礼を尽くす。茶事を通して、相手を敬い和が生まれ、和やかな時を過ごせることに喜びを感じています」

 教授者となった今、平野さんが指導する人たちは、職種、年齢などさまざまで、男性もいる。

 「最初はぎこちなかったお点前が、何度も繰り返すうちに柔らかく美しくなっていく。『人に見せよう』という意識がなくなっていくからです。そんなふうに、人が育っていくのを見るのも、教授者の楽しみです」という。

 2年前にがんを患い、「何もできないほど落ち込んだ時もあった」と平野さん。治療に専念した期間、「仕事をしたい、茶道の指導をやりたいという思いが、つらい治療を乗り越える心の支えだった」と振り返る。闘病の体験は、人生には限りがあることを実感させたそうだ。

 「一人でも多くの人に茶道の心を伝えたい」、茶道に支えられた感謝の思いを込めながら、一服のお茶を点(た)て続ける。

※問い合わせは「平野宗祥(ひらのそうしょう)Facebook のページまで


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