医療安全、先進的医療、経営安定がキーワード
歴史と伝統、さらに挑戦
1928(昭和3)年、九州医学専門学校として設立された久留米大学。創立88年となった今年の4月、26代目の同大学病院長に志波直人・整形外科学講座主任教授が就任した。
地域医療構想、新専門医制度など、激動の時期にかじ取りを任された志波病院長の心境、そして抱負は。同大学病院を訪ね、話を聞いた。
戦中、戦後に思いをはせて
―病院長となって3カ月。今の心境は。
2012年に整形外科の主任教授になったのをきっかけに、久留米大学整形外科の歴史を振り返りました。その中で、整形外科の歴史だけでなく、大学の歴史も知ることになりました。
久留米大学の前身の九州医学専門学校は、戦時中、インドネシアのスマトラ島に医療団を派遣していました。医師のみでなく看護師、薬剤師、検査技師など69人が、日本人のためだけでなく現地の人たちにも、病院を挙げて、まさしく命懸けの医療を行っていました。その時の詳細な記録が「パレンバンの医療団」(久留米大学図南会、1968年出版 668ページ)という書籍に残されています。
現在、大学病院が置かれている環境は、正直、厳しく、大変です。でも、そのころのものすごい苦労を知ると、今の状況は、「まだまだ」だと思えるんです。あのころの大変さは今とまったく違う、今の苦労は、苦労のうちには入らない、と。
―「大変」な状況を具体的に言うと。
久留米大学病院の収支をみると、医療収入は確実に増えていますが、支出も増加しており、厳しい状況です。現在の医療制度では、大学病院運営は大きな利益が出ないようになっていますので、それは、どこも同じだと思いますが。
ある大学病院で腹腔鏡手術を受けた患者さんが相次いで亡くなった問題などがあり、医療安全に対する社会の目、国の対策がどんどん厳しくなっています。当然のことですよね。
当院としても、医療を受ける側の視点で、医療安全にしっかりと取り組むことを大前提にしています。そして、その裏付けがある中で、大学病院として先進的医療も取り入れる必要があります。
今年、久留米大学病院では手術支援ロボット「ダビンチ」の最新版Xiを導入しました。先進的医療のためには、このような大きな投資を継続的にしていかなければなりません。また、医療安全のためには、多くの人材が必要です。つまり、経営状況が安定していなければならない。すべてがリンクしているのです。
筑後周辺の医療を守る
―現在は少子高齢化。さらに、人口減社会を迎えつつあります。
実は、久留米市の人口を調べてみると、ここ5年、わずかながら増加を続けています。しかしながら、医療圏全体では減少していることに変わりはありません。
一方、患者数の推計では、とくに整形外科分野でいうと骨粗しょう症や変形性関節症などが逆に増える見込みで、入院治療が必要な患者も、女性では、現在と比べて今後30年で5割程度増えると予想されています。
福岡県には「大学病院が4つ『も』ある」と言われることがあるのですが、調べてみると、一つの大学病院が担当する人口は、ほぼ全国平均だということがわかります。福岡県に大学病院が多すぎるということは決してないんですね。
ですから、この大学病院の救命ヘリが飛ぶ、筑後地区を中心とした人口100万人ほどのエリアで、大学病院としての役割をきちんと果たすことが、当然必要なことだと考えています。
久留米大学全体では、123の関連病院があり、坂本照夫・前病院長の時代から、関連病院協議会で一同に会する機会を設けています。
私たちの整形外科では関連病院が29施設あり、年間1万1000〜1万2000例の手術を、私たちの医局から出向した医師が行っています。われわれが地域を支えているという意識がものすごくあるのです。
新たにスタートする専門医制度で基幹病院になるということも、そういうことだと思います。ですから新制度によって、地域を支えるという役割が変わってはならない。新たな制度を理由に、出向先から医員を引き上げるようなことは極力避けたいと思っています。
ただ、プログラムや入局者数によっては、その配慮ができなくなっているところがあるのも残念ながら事実です。
入局者を増やす。それが、大きな課題です。現在、病院長として主任教授一人一人と会い、それぞれの科で何を考え、どうやっていくか、中長期の展望を聞き取っているところです。
整形外科でみると、入局者数が比較的多い状態が続いています。学生担当の医局員を置き、しっかりと対応していること、整形外科内の各部門の魅力ができつつあるという点も理由だと思います。
久留米大学医療センターには、将来プロのスポーツ選手になろうというような人たちが訪れ、治療を受けるようになってきています。医局員の中には、厳しい選考を経てラグビー日本代表のチームドクターに選ばれた人もいます。
われわれがうまくいったと感じていることを、他の医局にも伝えていきたいですね。
九州初!日本宇宙航空環境医学会総会
志波直人会長 2017 年11 月 久留米で
九州で初となる日本宇宙航空環境医学会総会が2017 年11 月、久留米大学筑水館で開かれる。
テーマは「臨床と宇宙医学の同時進行と相互フィードバック~宙陸両用を目指して」。 会長で、長年、宇宙での実験を重ねてきた志波直人・久留米大学病院長は、「これまでやってきたことのまとめだと感じている。宇宙医学と臨床の専門家同士をペアにした企画などを考えています」と話している。
若い医療者が学べる病院づくりを
―病院長に選ばれた理由、役割を、どのように考えますか。
整形外科の主任教授になる前の8年間、リハビリテーション部の教授を務めました。この部門は、医師が潤沢にいるわけではありません。必然的にすべての診療科に自分で足を運ぶことになります。
その中で各科の先生方と面識ができ、事務職員の方とも話をしたり、一緒に仕事をしたりする機会がありました。ですから、私がどういう者なのかというのを、皆さんがご存じだった。それがまずありました。
県の社会保険審査委員を10年間、同時に日本整形外科学会の社会保険委員や同委員長を務めさせていただき、診療報酬改定に向けた厚労省のヒアリングに出席した経験もありますので、このような面でもできることがあるのでは、とも思っています。
さらに、パナソニックと共同で医療機器の開発もしてきました。大学と企業との積極的な関係を保っていきたいですし、学内でも推進していきたいと思っています。
歴史と伝統を守りつつ、新しいものに絶えず挑戦していける病院。逆に、新しいものに挑戦していかないと、歴史と伝統も守れない。それが医療だと思います。
職員の皆さんは、毎日忙しい。疲れてもいます。でも、若い人がなぜ、久留米大学病院にきているのかを考えると、「久留米大学でしか学べないものがある」と思い、この病院で働いているはずなのです。
そのことをしっかりと認識して、若い人たちが、積極的に学べる環境にするということを、意識していかなければいけませんよね。
就任直後の熊本地震対応
―熊本地震がありました。
熊本では、現在も余震が続き、不自由な生活をしている方も多くいらっしゃいます。被災された方にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。
あの時は久留米も震度5強。病院のエレベーターも止まりました。院内に対策本部を設置し、被災地にDMAT(災害派遣医療チーム)を派遣。さらに、数百人単位の人が搬送されてくると想定して、トリアージなどの準備も整えました。
しかしながら今回、被災地から最も近い被災地以外の大学病院としての課題も見えました。
当院は発災直後から5月の連休が終わるまで、各診療科や診療部門で調整を行い、DMATやJMAT(日本医師会災害医療チーム)で延べ130人以上を派遣しました。「病院の施設基準に問題が出る」という限界でした。しかし、その後も各学会などを通して派遣要請が続きました。派遣が不可能であると伝えたところ、ある学会の関係者からは、厳しい言葉が返ってきました。被災地への思いは同じでも、個々の医療施設で状況や果たすべき役割が異なる。その点は課題だと感じましたね。
被災地近くの大学病院は、医療者を出すのではなく、患者受け入れに専念したほうがいい場合があるとも思いました。今回は県外への搬送が予想より少なかったものの、本来はそのように役割分担した方が、機能的ではないでしょうか。
久留米大学病院
福岡県久留米市旭町67番地
☎0942・35・3311(代表)
http://www.hosp.kurume-u.ac.jp/