医療法人社団 中津胃腸病院 深野昌宏 理事長 病院長

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急性期医療と緩和ケアで地域を支える

ふかの・まさひろ▶1976 大分県立日田高等学校卒業 1988 大分医科大学医学部卒業、同医学部第一外科入局1989 中津胃腸病院勤務1990 麻生セメント飯塚病院外科 1993 国立大分病院 2000 佐藤第一病院 2003中津胃腸病院 2009 同院院長【所属学会など】日本外科学会外科専門医、日本緩和医療学会暫定指導医、日本麻酔科学会(麻酔科標榜医)、日本消化器内視鏡学会、日本内視鏡外科学会、日本臨床外科学会、日本大腸肛門病学会、日本緩和医療学会、日本静脈経腸栄養学会、日本死の臨床研究会九州支部、臨床肛門病研究会

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■私利私欲のためでなく

 当院は、1980(昭和55)年、消化器に特化した40床の病院として、中津市中央町に開院しました。当時は全国でも珍しく、理事の持ち分がない共同経営の医療法人で、初代の理事である藤井善男先生、武藤征郎先生の2人は「私利私欲のためではなく、地域のために」と病院を創設したのです。

 それ以来、消化器に特化して、急性期の地域医療を続けてきました。

 現在の永添に移転して28年目になります。病床も112床に増えました。現在は私が理事長・院長ですが、共同経営者である安部寿哉副院長とはまったく同等の立場です。以前は安部先生が理事長でした。

 私にも阿部先生にも、医学部に通う子どもがいますが、本人たちが希望しない限り、また、たとえ希望しても適任でない場合、跡を継いでほしいとは思いません。この町で地域医療をやっていきたいという若い人材がいれば、ぜひこの病院を継いでほしいですね。

■緩和ケア病棟を何としても

 ここは私が大学を卒業して初めて勤務した病院です。

 赴任当時、大分県には緩和ケア病棟がある病院が1施設しかありませんでした。ほとんどの病院が、がんの治療はできても、ターミナルケアはできなかった。痛みに対する治療だけでなく、患者さんの心の治療まで考える余裕がない状況で、この病院も同様でした。

 その状況をなんとかしたいと思い、その後、勤務した病院では、独学で勉強しながら緩和ケアも行っていました。

 そして再びこの病院に勤務するようになり、本格的に緩和ケアに取り組むことにしたのです。

 このあたりは、地元の病院ではなく北九州市立医療センターや大分大学医学部附属病院まで行って治療する人が少なくありません。でも、治る見込みがなくて地元に帰ってきたときに、きちんと終末期の患者さんを看られる病院がなかった。そうした人たちを受け入れたいと思ったのです。

 緩和ケア病棟の基準はハードルが高く、病院機能評価を取得することが必須条件です。さらには基準とされるスペースを確保することが難しく、また看護師の数も足りませんでした。

 そこで、新館を増築して、一般病棟の患者さんに移っていただきました。以前は4階に20数床あった病床を14床に減らしてスペースを確保し、どうにか基準をクリアすることができました。

 当院の緩和ケア病棟の師長をはじめ、興味を持って頑張ってくれる人たちがいたことも心強かったですね。認可を受けることは難しいけれど、患者さんのための緩和ケア病棟を何としても造ろうという思いでした。その後、口コミでどんどん広がり、今では常に12〜13人が入院しています。 

 別府(大分県)〜小倉(福岡県)間のエリアには、当院以外に緩和ケア病棟がありません。その地域の患者さんも、できる限り受け入れていきたいと思います。

■家族ケアも重要

 緩和ケアを地域に広めることも大事な役割だと考えています。県内のがん拠点病院の緩和ケア研修会では講師としてお手伝いしています。

 また、大分県の緩和ケア研究会県北支部会会長として毎年定期研修会を開催しており、毎回300人を超える参加をいただいています。この地域の緩和ケアのレベルはかなりのものだと実感できるまでになっています。また、3年前には、「日本死の臨床研究会九州支部」の世話人として、地方都市としては久々の定期集会を中津市で開催しました。

 緩和ケア病棟の看護師長が小学校や公民館で講演をすることもありますし、今後は「死の授業」「生の授業」なども、ぜひやってみたいですね。

 昔はおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなる場面を経験することが普通でしたが、今は、そうした経験がないまま大人になる方が増えています。

 自分の親が死んでいくという事実にどう対処していいのかわからず、あたふたする。緩和ケア病棟では、そうした家族のケアも行っています。きちんとご家族の死を受け止められるようにすることも、緩和ケアスタッフの大事な役目なのです。

 スタッフはみんな一生懸命明るくやってくれています。何かと心労もあると思いますので、月に一度は病棟の懇親会(食事会)を開くことにしています。笑って、泣いて、騒いで、吐き出して。そうしてリフレッシュしてほしいですね。

■寄り道をして医師に

 実家が祖父の代まで歯科だったので、歯医者を目指していました。しかし、高校でのんびりしすぎて大学受験に失敗。浪人してもまた失敗して、その後フリーター生活をしていました。あるとき「これでは俺の人生だめやな」と思い立ち、貯めたお金で予備校に通いました。高校卒業から6年後、24歳で医学部に入学。バイトのお金と奨学金で卒業しました。安部副院長は大学の2級先輩ですが、私より4つ年下なんです(笑)。

 今思えば、こうした寄り道が、患者さんを診るうえで少しは役立っているのかもしれませんね。

 バイトを通していろいろな職業の人たちと出会い、共に働いたことで、人にはそれぞれ人生があり、みんな精いっぱい生きていることを痛感しました。

 どんなときでも、患者さん一人ひとりに敬意を持って接すること。そのことを忘れてはいけないと、朝礼などでも機会あるごとに話しています。

■消化器に特化した病院であり続けたい

 医療行政がいろいろと変わってきています。まずは病院を生き残らせることが第一です。そのためには、創設の理念でもある「消化器に特化した病院」であり続けたい。さらに、地域の救急医療、緩和ケアを支えていきたいと思います。

 今後は20床ある地域包括ケア病床をさらに活用し、周辺の医療機関からより一層頼りにされるような体制も整えていきたいですね。

 当院のメディカルスタッフは非常に優秀です。彼らの意見も聞きながら、次の世代を育てることも大事な課題だと思います。

大分県中津市大字永添510番地 ☎0979・24・1632(代表)
http://n-icho.or.jp


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