笑顔やあいさつを学び利用者の生活を知ることで人として成長していきます
●平均年齢が20代の若い職員をどう生かし、育てますか。
リハビリに関わる職種はいくつもあり、やさしさや奉仕の気持ちの強さが根底にある人が多いような気がします。
でもそれがあっても、若い人は人生の先輩を敬うことが習慣化しておらず、言葉使いもフレンドリーに話しているつもりなのに「タメ口」になってしまうことがあります。でも当院や関連施設で働くうちに、上司や先輩から笑顔とあいさつの大切さを学び、さらには患者さんやデイケア利用者の自宅を見学して生活を知ることで、人として成長していきます。それが当法人のサービス力の原点ともなっています。
患者さんや利用者にはそれぞれ違った暮らしがあります。それを理解し、気持ちを酌んで、個々に見合ったリハビリを提供することを常に意識しておかねばなりません。
●リハビリの観点から見たこれからの日本は。
介護を必要とする高齢者が急激に増える一方で、それを支える若い働き手が増えないことが危惧されます。日本の社会全体として考えれば、生産性のある仕事に若い人が就いてくれなければ国力が落ちてきますからね。私たちの職を担える若手職員の確保が厳しくなっていくのではと予想しています。
だから移民で、という考えもあるようですが、安らぎのある介護やリハビリ医療ができるのだろうかと思います。
●リハビリの医師を続けて思うことは。
患者さんやご家族のためになることをして、それが結果につながると喜んでいただけますし、また頼りにもされます。そんな時は医者としてよりも人間としてうれしいですね。そのような経験ができるのは医者だからこそだと思います。
ただ、今の時代は、患者さんからの苦情が増えていますから、それに対応するマニュアルを作成しています。前線に立つのが医事課の窓口や看護師ですから、法的な備えも整え、病院が職員を守り切る体制をつくっています。
●医者になったきっかけは。
私は山形県の出身で、雪の多い医療過疎地帯で育ったこともあって、中学生のころから医者になることを意識していました。高校は山形県立米沢興譲館(こうじょうかん)高等学校。旧制米沢中学で、米沢藩主上杉鷹山のつくった藩校、興譲館の流れを酌んでいます。
19歳の時に山形県から北九州に1人で出て来て、一番違っていたのは言葉でした。山形弁がなかなか抜けず、またこちらの言葉の荒さにも驚きました。でも閉鎖的な東北に比べて、よそから来た人に非常に許容力があり、すぐに北九州に溶け込めました。
北九州市小倉北区篠崎1丁目5-1☎093-581-0668
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