4月から2次救急輪番に参加|忘れたくない「やさしい病院」の雰囲気
目と鼻の先に愛媛大学医学部附属病院がある。
愛媛医療センターの役割と、これからの地域医療について、岩田猛院長に尋ねた。
当院は1939(昭和14)年に開院し、戦後は結核療養所としての役割を果たしてきました。現在では国立病院機構の病院として政策医療と地域医療の2本柱を使命としています。
政策医療は、神経難病、重症心身障害、結核などのような、民間では十分な医療を提供できない専門医療施設の役割を果たし、地域医療とはおよそ半々くらいの割合です。
地域医療に関しては、東温市や松山市の東部を、大学病院ほど高度ではない一般の医療をやっているところです。その中で、全国的にクローズアップされている救急医療について、当院はこれまで東温市を中心に、受け入れられるだけの救急車を引き受け、それ以上は松山市の医療機関に頼ってきましたが、今年4月から、8日に1回の「二次救急輪番」に入ることになります。3年くらい前から要請があり、地域医療にもかなうため、受けることにしました。
大学病院がそばにありますので、そこから医者や研修医に来てもらい、救急をやりたい若い医師の研修の場になればとも思っています。大学としても教育のメリットがありますので、それなら協力しましょうという話になっています。おそらく高齢者対応の救急がメインになるでしょうね。
当院には東温市だけでなく、松山市の東部からも来られます。開院して70年以上が経っているのでよく知られています。かつては慢性期のようなゆっくりした医療でしたから、医療者にも患者さんにも余裕がありました。これから急性期や救急医療を始めて、忙しくなってもなんとかうまく対処して、これまで患者さんから「やさしい病院」と言われてきた、その雰囲気はなくしたくないと思います。
今は、救急車が来るのは1日に1台か2台くらいです。でも救急当番日には8日に1回、30〜40台来て、20人くらいの救急入院を受け入れることになると予想しています。
そのことは地域の皆さんにはまだきちんとお知らせしていませんが、愛媛新聞など地元の新聞では報道されていますので、ご存知の方もおられると思います。また4月の東温市の広報にはお知らせを載せてもらいます。
―高知県出身ですね。愛媛県の風土は。
大学からこちらですので長くなりましたが、高知に比べたら住みやすいかもしれません。松山市周辺は災害が少なく、のんびりした土地柄のように感じます。愛媛県の東側はバイタリティーがあり、南にいくほどゆったりしているようです。
―医療はずいぶん進歩しました。今の国民に必要なことは。
高度経済成長期に医療も右肩上がりに進歩し、治らなかった病気も治るようになり、寿命も延びて、人間はいつかどこかで死ぬのだという覚悟を忘れてしまった気がします。ただし医療側も、いろいろな手立てがあるために、救える命かどうかの判断が求められることもあり、100%の見通しが立たない時にどうするかの難しさは依然として残っています。
―職員に同じ方向を向いてもらう方策は。
「信頼される医療の提供と働きがいのある病院」という理念を実現するには、医療者の側にも満足感が必要です。そのために多職種の職務について理解し、自分の不足を補う存在であることを知ってほしい。その具体策として、各部門の課題などについて院内研究発表会もやっています。午後から夕方まで、職員が何十人も集まり、私も参加しますよ。
―なぜ医者になろうと。
子供のころ腎炎になり、往診に来てくれた開業医の白衣姿が印象的だったんです。その時のイメージがとても強かったんだろうなと、今になって思いますね。