地域社会の共有財産として、医療機関の責任を果たす
内山病院の機能・役割
当院の99床はすべて療養型病床です。しかし、かつての療養型が寝たきりの患者さん中心の「老人病院」だったのに比べると、現在はかなり急性期寄りの病床に近づいています。いわゆる地域包括ケア病棟と同じような使い方をしていて、常時5~6人の患者さんが人工呼吸器を付けているのが実情です。
そのほか、近年では地域の中核病院の受け入れ先としての機能が重要になっています。1989年に国立療養所が医師会に移譲され、出水郡医師会立阿久根市民病院(現・公益社団法人出水郡医師会広域医療センター)が設立されました。この市民病院を退院する際の受け入れ先として病院を整備する必要が生じ、1992年ごろに病床を65床から99床に増やしています。有床診療所が病床を減らしていく時代背景のなかで、医師会の担当理事として病院設立に奔走した私が責任を果たさなければいけないという使命感もありました。
阿久根の未来
阿久根市の人口は約2万1000人。団塊の世代が後期高齢者となる2025年には1万8000人程度になるという試算もありますが、忘れてならないのは、人口が減っても高齢者がいなくなるわけではないということです。実際は2040年ごろまでは高齢化対策が必要な時代が続くのです。もっとも、日本の人口は減り続けますし、それにともなって、療養型か慢性期かを問わずに診療点数が減らされ、最終的には病院の利益が出ないような状況が訪れるでしょう。そういった時代においては、医師は自分の職業が持つ意味を見つめ直す必要があるかもしれません。
大学の同級生が何人も鬼籍に入りましたが、「あの頑丈な男が」と驚くような同級生が亡くなったのを聞くと、「人生とはなんとあっけないものか」と思えて、欲に固執することが無意味だと感じます。生きているだけでありがたいし、自分は、何か"なすべきこと"があるために生かされているのではないかという思いもある。残りの人生はとにかく他者に喜ばれることをしたいのです。
当院は個人病院からスタートしましたが、創立者の内山先生を説得して医療法人に転換し、特定医療法人を経て、現在は社会医療法人に改組しました。社会医療法人とはすなわち、特定の個人の所有物ではない、社会全体のために存在するということです。
一般の商店がつぶれるのとは違い、病院が廃業すると、今日、明日からでも困る方がたくさんいらっしゃいます。患者さんは地元の方がほとんどなのでほかの病院に行くこともできない。
社会医療法人にすることで、もし、私の親族や関係者がいなくなったとしても、医療機関や法人・事業体を地域に残すことができます。やる気のある医師が法人を活用して地域に貢献することもできる。なにより、病院は地域住民のために存在するのですから。
地域医療のために
念願だった地域の中核病院を設立するために、国立療養所を医師会に移譲してもらおうと、当時の厚生省に単身で乗り込んだことがあります。阿久根という地名すら知らない役人を前に、日本地図を広げて2時間近く説得しました。また、大学に医師派遣をお願いに行ったときは、ほとんど門前払いで、ある教授には何時間も待たされた。しかし、結局は医療センターを実現することができましたし、協力してくださる教授も現れた。
必死に、なりふり構わず努力することで大きな岩を動かすことができるのです。その努力こそが地域医療を支えているのだと思います。
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