評論家米沢慧氏の「いのちを受けとめるかたち」を読みながら、次の文章を思いついた。
手足をはじめとして体の筋肉は脳の支配下にある。動けと命令されたら動き、止まれと命じられたら止まる。これを「動物のこころ」と名付ける。だが循環器や消化器系の臓器、そして精神は停止を命じても黙々と働き続ける。これを「植物のこころ」と名付ける。ちなみにNHKスペシャルによると、目が光に反応するのは植物由来だそうである。
だから老いて、動物のこころが衰えて動けなくなっても、植物のこころは動きをやめない。窓辺に朝陽を見て、精神も老木に青々とした葉が茂るがごとく成長を続ける。ただしその成長は外からはうかがい知れない。内面に繁茂(はんも)し開花するからである。
精神を成長させる土壌は、動物のこころが拓いてくれる。興味や好奇心、あるいは宿命が行動を促がし、生じた経験の蓄積が肥料となる。行動なしに精神は成長のしようがない。人生とは、先祖から受け継いだ小さな種を、二つのこころが協同して大きな木に育て上げるようなものかもしれない。
バイオエシックス研究会(福岡市早良区)での講演を編集したもので非常に奥が深く、思考の道具になりうる良書。ほかの人が読めばまた別の思いに至るだろう。シリーズ化を期待したい。