多くの医局員にチャンスを与えたい
―昨年12月に教授に就任されていかがですか。
あっという間の1年でした。これまでは自分の専門分野だけをやっておけばよかったのですが、大学全体のことに加え、病院の仕事、学会の仕事などが加わって、忙しくなってきました。
当大学は卒業生の約半数が女性です。地域性もあるのでしょうが、男性より女性の方が真面目な学生が多いようにも感じます。だから女性にはぜひ活躍してもらいたいですね。女性医師のキャリアアップを含め、長い目で見ていかなければいけないと思います。
もともと当大学では男女共同参画を推進する体制を整備し、教育研究環境の整備を進めてきました。当医局の下川尚子講師は、男女共同参画委員として全国的に活躍するようにもなってきました。
脳外科の医師には女性が少なく、どちらかというと男性社会です。そうした状況の中で、たとえば地方会や学会を当大学で開いたときに、子連れで来る女性医師がいたら、子供さんを一時預かって学会に参加できるようにするなど、細やかな配慮がなされるようになってきたのではないかと思います。
男性に比べると女性はどうしても出産・育児のためにキャリアが停滞する傾向にあります。しかし、そこは周りのみんなでカバーし合ってやっていかないと、大学も病院も衰退していくんじゃないかと思います。
―ドクターヘリが活躍してますね。
急性期の脳卒中医療において、神経内科と一緒に今年の9月から脳血管センターを設立して24時間体制で受け入れています。倒れた患者さんを地元で検査している間にドクターヘリを要請して、そのまま当病院に搬送。到着後すぐにtーPA(血栓溶解療法)を、また無効例には血栓回収療法を施します。
人口に対する比率などを鑑みると、佐賀県は全国で2番目に血栓回収療法の実施件数が多い地域です。tーPA療法も血栓回収療法も、どちらも限られた時間の中でやらなければなりません。みなさんの意識が高く、積極的にこの治療が行われていることは非常に良いことだと思います。
―どうして医師に。
子どものころから医者になりたくて、地元の大分大学医学部に進学しました。脳外科医を目指すきっかけとなったのは大学4年生のとき、サッカーの練習中に他の学生と交錯して転倒し、頭部外傷で大学病院の脳外科に1週間ほど入院したことです。
子どものころに友達を脳腫瘍で亡くしたことも頭のどこかにあったんでしょう。
そのときの主治医だった先輩に勧められるがまま脳外科の道に進んだわけです。
大学院に進んで2年が経とうというときに、生化学が専門の桑野信彦教授と出会いました。その研究室では血管新生研究のプロジェクトを立ち上げるなど、非常に興味深い研究をさせてもらいました。桑野先生が九州大学に移られるのと同時に私も2年ほど九州大学にお世話になりました。
現在、うちの医局員も九州大学にお世話になっているのですが、桑野先生は75歳を過ぎていまだに論文を書き、私もそうだったんですが、若い研究者たちと、毎朝読み合わせをするんですよ。
一緒に論文を読み、それを説明してくれて、「どうしてそういう考え方になったのか」をマンツーマンで教育をされる。すごい教育者ですね。私はそうした教育を受けたので、まったく同じとはいきませんが、きちんと学生たちに向き合いたいと思います。
私の学生時代もそうでしたが、地方の学生は広い視野を持たないように感じます。たとえば、東京大学などの学生は頭が良いうえに、先輩が世界中の研究施設に散らばっている。後輩たちは学生時代から世界を見て歩くことができるから、卒業前に、「自分をプロモーションするにはどうしたらいいか」を逆算して考えています。地方の学生にはその機会がないので、そうした世界を知らずに医者になって行く人が多いんです。
そこで前任地の大分大学では、私が懇意にしている医師が在籍するアメリカのマサチューセッツ総合病院脳神経外科に、毎年1人の学生を研究派遣してきました。
初めは「私は研究には興味がない」と言っていた学生も、「臨床も研究も両方できるような医者になりたい」と言ってくれるようになりました。
実際に臨床をし始めると時間が限られてきますし、昔に比べると医局員の数が足りません。研究のために海外へ行く余裕はなくなってきているかもしれませんが、この大学でも、できるだけ多くの医局員にチャンスを与えたいですね。