医の原点を守り続けたい
愛知県丹羽郡大口町新宮1‐129TEL(0587)95‐6711
―今年4月に院長に就任されました。
当院は、今年で創立35年。その間、地域の医療需要に対応すべく病院の規模を拡大、設備を充実させて現在に至っています。
今後は職員教育に力を入れなければならないと考えています。そのために、まず着手したのが職員の意識改革です。当院は民間病院なので、患者さんから支持されなければ運営が成り立ちません。患者さんのニーズは何か、それに応えるにはどうすれば良いかを経営者だけが考えるのではなく、現場からアイデアが上がってくるような環境を作らなければと思っています。
一般企業では常識ですが、医療機関においても顧客満足度、つまり患者さんの満足度を高めなければなりません。しかし患者さんの満足のみを追求していくと、やがては職員が疲弊して、最終的には患者さんから不満が出る本末転倒の結果となってしまいます。
まず重要なのは職員の満足度を高めること。職員が長く働ける職場、やりがいがある職場を構築できれば、今まで以上に地域住民から評価される病院になると思うのです。
具体的な取り組みとして、会議の運営方式を改めました。従来の会議は単なる情報伝達の会議でしたが、徹底的に議論をする場にしました。また、提案書制度をつくって、一般職員から些細なことでも病院に対する案を出してもらうようにしました。即承認するケースもあれば、話し合って改善案や代替案を求めるケースもあります。
単に院長の決定に従うのではなく、従業員自身が発案したものが採用されることでモチベーションのアップにつながります。
― 日本初の試み、ドクターカーの福祉施設への出動について。
当院では、近隣の福祉施設の要請を受け、ドクターカーを出動させる体制をつくりました。
福祉施設の人手不足が社会問題になっています。そのような状況で入所者に傷病者が出て通常の救急車を要請するとスタッフは救急車に同乗して病院に行き、状態が落ち着くまで病院にいなければなりません。
その間、残されたスタッフで大勢の入所者に対応することになり、肉体的・精神的な疲弊は計り知れません。
私たちは、同じ法人内に福祉施設があり、マンパワー不足が喫緊の課題だと身をもって実感していました。そこで、解決策を模索しているうちに、ドクターカーの福祉施設への運用に思い至ったのです。
ドクターカーが出動する際は当院の医師、看護師が同乗します。ドクターカーと救急車の最大の違いは、患者さんに接触した時点から医療行為が行える点です。救急車に救命救急士が配備されるようになってからは、特定の医療行為については医師の指示のもとで行えるようになりましたが、限られた病態にしか運用できません。やはり医師、看護師が現場に赴き直接傷病者を治療するのが、最善だと思うのです。
救急車の場合は、福祉施設へ赴いてから搬送先を選定する業務がありますが、ドクターカーは、われわれが治療しながら当院に搬送するので、タイムロスがありません。また、現場で看護師と福祉施設のスタッフが申し送りを済ませれば、福祉施設の職員がドクターカーに乗る必要もなくなるのです。
ドクターカーの配備に対する補助金はありませんし、24時間いつでも出動できるように職員の教育、当直の配備をしなければなりません。当然、われわれの負担は大きいのですが、困っている人に手を差し伸べるというのが開院以来掲げてきた当院のポリシーです。直接的に病院の収益につながる事業ではありませんが、地域住民に貢献したいとの思いから運用しています。
―東日本大震災の際は救援活動に従事されたそうですね。
医学生のときに阪神淡路大震災がありました。父親である前院長と相談して医療チームを結成し、地震2日後には被災地に赴き救援活動を行いました。
当時はD‐MATもなく、医療チームとして救援活動に入ったのはわれわれが第1号でした。ドクターカーと同様に、病院で待っていたのでは救えない命があるのです。
東日本大震災のときもわれわれが率先して行くべきだと考え、地震の翌日には700㌔離れた石巻に入って、診療活動にあたりました。
医療活動を終えた後も引き続き復興支援ができないかと考え、気仙沼のサンマを1万匹購入して原価で販売したり、風評被害にあって売れなくなった果物を購入して販売したりしています。これらの支援は今後も継続していくつもりです
困った人に手を差し伸べることは医の原点です。「医は仁術なり」と言います。この言葉が、法人名の医仁会の由来です。人の心を重んじるという伝統はこれからも守り続けていきたいですね。
ひとつの法人やひとつの病院ができることには限りがありますが、限りがあるからといって何もしないのではいけません。まずできることから始めていくのが医の原点だと私は考えています。