多くの命を救った外科医、第74回西日本文化賞受賞
九州初の生体肝移植や、国内2例目のドミノ肝移植など、九州、そして国内の肝移植をリードしてきた、元九州大学医学部第二外科教授で、遠賀中間医師会おんが病院・おかがき病院統括院長の杉町圭蔵氏が11月3日、西日本文化賞を受賞した。
杉町氏は、1938年、福岡県生まれ。高校3年の時、教師に「医師は人のためになるし、仕事がなくなることもない」と勧められ、九州大学医学部に進学した。
卒後は九大第二外科に入局。肝硬変の患者が亡くなっていく姿を見るうちに、「肝移植しかない」と思うようになった。しかし当時はまだ、移植への理解がなかった時代。85年の自身の教授就任まで待ち、就任直後から移植の研究を始めた。
西日本臓器移植ネットワークの設立、肝がん患者に対する体外での肝切除など実績を積むうち、93年、チャンスが訪れる。大阪で脳死のドナーが出たとの連絡が入ったのだ。すぐさま、若いスタッフを大阪に向かわせたが、そのころはまだ臓器移植法制定前。府警から「脳死段階で肝臓を取り出せば殺人」とくぎを刺され、ドナーの心臓が止まるまで待機した。結局、移植した患者は74日目に亡くなった。
胆道閉鎖症の7歳の男児に父親の肝臓を移植する、九州初の生体肝移植に挑戦したのは、96年のこと。さまざまな事態を想定し、準備をしたが、それでも何があるか分からないのが手術。「怖がってやらなければ、彼は助けられない。しかも、1例目がダメなら2例目はない。勇気のいる手術でした」。結果は成功で、現在、男児は25歳の男性に。先日、19年ぶりに再会した。結婚し、2人の子の父親となった男性の姿に「うれしかったですね。元気をもらいました」と顔をほころばせる。
定年後は九州中央病院院長に。「病気に苦しむ患者に生きる喜びを与えることが医師の務めである」との信念で病院を改革し、25年続いた赤字を黒字化。8年の在任中に25億円の借金をすべて返済した。2010年からは、倒産寸前と言われた遠賀中間医師会のおんが病院・おかがき病院の統括院長に就任。ここでも職員や住民に慕われ、2年で奇跡的に黒字化を実現。自身が行う「セカンドオピニオン外来」には全国から相談者が訪れ、外科医として手術も執刀する。10月には在宅総合支援センターをおんが病院敷地内に開設した。
医師としても、経営者としても、患者やその家族の喜ぶ姿のために、走り続けてきた杉町氏。「早く自分の人生を送りたいんだけれどね」と笑うが、まだまだ、多忙な日々が続きそうだ。