うつと若年性認知症への対応が急務
1955 九州大学医学部卒業
1956 九州大学医学部附属病院で臨床実地修練修了、九州大学大学院医学研究科博士課程入学
1960 九州大学大学院医学研究科博士課程修了、九州大学医学部文部教官
1962 医療法人仁心会福山病院医師
1965 同法人松下病院院長
1985 同法人理事長兼務
2008 同法人理事長(院長退任)
【学会および社会活動等】
1965 ~ 2005鹿児島県中央児童相談所嘱託医
1996 ~ 2005鹿児島県精神科病院協会会長
1998 ~ 現在鹿児島県精神保健福祉協議会会長
2000 ~ 2006日本精神科病院協会鹿児島県支部長
2000 ~現在仁心看護専門学校校長【表彰等】日本精神病院協会会長表彰鹿児島県知事表彰厚生大臣表彰(精神保健福祉分野)叙勲 勲四等瑞宝章
―歴史のある病院ですね。
当院は、私の岳父に当たる松下兼知氏が創立した医療法人仁心会によって、福山病院(霧島市)、西原保養院(鹿屋市)に次ぐ3番目の病院として、1959(昭和34)年に設立されました。私が病院長として赴任した1965年ごろは、近隣に病院があまりなかったため、一般内科、神経内科の疾患も多く診ていました。また、当時は、ストレスによる内科疾患、心身症の患者さんも多くいらっしゃっていましたね。
ところが、高齢化が進み、認知症の方がだんだんと増えてきました。そのため、認知症に力を入れるようになり、1995年には、鹿児島県老人性痴呆疾患センターの認定を県内でもっとも早く受けています。
患者さんの状態に応じた病棟の機能分化の必要性を感じて、2005年、病院の全面改築に着手し、2008年に新病院が完成しました。
現在の病床数は、精神科と内科、合わせて276床。精神科の急性期、回復期、慢性期とストレスケア、さらに認知症治療病床、内科療養病床があります。
また、市の委託を受けて、認知症の患者さんとご家族のための認知症カフェを月に2回開いています。この病院に通っている方以外にも来ていただき、手芸をしたり、お茶を飲みながら話をしたり。認知症について知っていただくようなプログラムも設けていて、毎回20人を超える方にお越しいただいています。
―今後、進む方向は。
長期入院中の慢性期の患者さんについては、可能な限り社会復帰のリハビリを施し、在宅にもっていけるようにしたいと考えています。また、新規の入院患者についても、1年以内に退院できるよう集中的な治療と社会訓練を重ね、退院後はデイケアに来ていただく形を取りたいと思っています。
近年、外来はうつの人が増えています。自殺を防ぐ上でも大きなテーマですから、そのあたりも充実させていきたいですね。今は、われわれが若いころとは違うタイプのうつがどんどん増えていて、治療に難渋することもあります。家庭や会社に返すのにも、核家族化や企業に余裕がなくなったことで、社会復帰、職場復帰に苦労するようになってきています。なかなか難しいところです。
もう1つ、対応が急務だと感じているのが若年性認知症です。働き盛りで起こるため、金銭的にも家庭的にも問題が大きく、さらに進行も早い。この方たちの早期発見と早期リハビリに力を入れる必要があり、デイケアを始めたいと思っているところです。吉牟田直孝院長の下で進められています。
―医師になるきっかけと大事にしていることは。
父親が医師でした。その父が鹿児島市の空襲で亡くなり、そのころから、医師になろうと思うようになりましたね。
精神科医にとって大切なことは、思いやりと訴えを傾聴すること。障害者の方も多くいる診療科ですから、障害者への偏見をなくすこと、思いやりの心で接することを大事にしています。
医療法人仁心会は、看護学校も併設しており、私が校長をしています。そこでも「人間尊重」「人間愛」を基盤にしています。
―若い医師にアドバイスは。
これから、まずます医療改革が進みます。私たちの若いころにはなかった渦に巻き込まれ、若いドクターたちは大変ではないかとも思っています。
とはいえ、そんな中でも、時代にあまり振り回されず、自分を見失わないようにしてほしいのです。今の若い人は、自分の専門や医学的には長けていますが、患者さんとの付き合いは苦手。人間としての幅が狭い人が増えていると感じます。医の原点を見つめて、歩んでいってほしいですね。