神経内科学の領域は幅広くエキサイティング
■日本で初めて神経内科学を創設
1963(昭和38)年、日本で初めての独立した神経内科が、九州大学医学部附属脳神経病研究施設内科部門として創設されました。初代教授に黒岩義五郎先生が就任されてから半世紀がたちます。
当時の日本では、精神科サイドとの関係で、神経内科が独立することは非常に難しく、さまざまな苦労もあったようです。
欧米に約60年遅れてのスタートではありましたが、神経学会の会員は現在、約8千人に増え、アメリカに次いで世界2位の会員数となりました。
数がすべてではありませんが、研究者の数が多ければ、研究内容も必然的に底上げできます。臨床力や臨床的な研究、あるいは関連した基礎研究でも、日本の神経内科学は世界のトップレベルにあると思います。
■多発性硬化症
私の専門は多発性硬化症です。アメリカに留学した当時は、まだ分子生物学が発達していませんでした。そこで多発性硬化症の動物モデルを起こす実験的アレルギー性自己免疫性脳炎の責任抗原であるミエリン( 髄鞘=ずいしょう)塩基性タンパクのアミノ酸配列を決めるという仕事をしていました。タンパク質レベルで神経生化学的な実験ですが、これはNIH(アメリカ国立衛生研究所)で携わった仕事で、私にとって最初の研究論文にもなりました。
多発性硬化症は欧米人に多く、国の指定難病になっています。特に若い人の体を侵す神経の病気では、もっとも多い難病です。原因ははっきりわかりませんが、世界には250万人ぐらいの患者さんがいるといわれています。白血球が、中枢神経の髄鞘タンパクという成分を攻撃する、自己免疫疾患のひとつです。
ライフスタイルの影響については定かではありませんが、日本でも近年の欧米化に伴い、発症数が昔に比べて約4倍にも増えています。
一方で、多発性硬化症の再発を効率よく減らす薬がたくさん出てきていますので、神経内科の領域では、分子標的療法がもっとも進んでいる疾患ともいえます。とはいえ、再発は抑えられても徐々に進行する段階を十分に抑えられていないというのが現状です。根本的な解決にはほど遠く、いまだに有効な治療方法がない疾患として位置付けられています。
■「脳の健康クリニック(物忘れ外来)」の開設
2000年には「脳の健康クリニック(物忘れ外来)」を開設しました。認知症は、精神科と神経内科の両方にまたがる領域ですが、現在のように認知症の方の診療が注目されていたわけではありません。しかし、将来的には増えるに違いないと考え、一緒に診療してもらえるよう、精神科の教授のところに直接お願いに行きました。初期の患者さんにとって、精神科の外来は敷居が高いようでしたので、少しでも受診しやすいように、神経内科の外来に物忘れ外来をつくることにしました。
それ以来ずっと精神科と神経内科が共同で1人の患者さんを診療して、ディスカッションを行い、診断や治療方針を決めるというスタイルでやってきました。このシステムをつくったのは全国でも初めてだと思います。
■認知症医療ネットワークについて
物忘れ外来を10年ぐらいやっていたことから、2010年に、福岡市から「認知症疾患医療センター」に指名されました。始めた当初は、大学の役割と開業医の先生の役割とをどう分担していくかというのが、もっとも大きな課題でした。
認知症の患者さんが発生した時や、急な入院が必要になった時、当院だけでなく、ほかにも受け入れてくれる病院が必要です。そこで、精神科の病院を訪問し、協力病院になってもらえるようお願いしました。
ある程度ネットワークができたころ、福岡市の方でも協力病院やかかりつけ医を増やしたりと、熱心に取り組んでいただけるようになりましたので、途中からは、すべて福岡市医師会の方にお任せしました。
そして、当院はかかりつけ医の先生から紹介されてくる、診断や治療が困難なケースを主体に受け入れ、またそちらにお返しするような役割を担うこととなりました。
■これからの神経内科
10年前に日本で初めて立ち上げた「日本難病医療ネットワーク研究会」は、神経内科だけではなく、さまざまな職種の方たちと共同で、医療と介護をやっていくものです。
学術集会を開くと、みなさん熱心にプレゼンしたり、ディスカッションしたりして、とてもいい形ができつつあります。
また、認知症、神経難病、新しい研究開発などから、脳卒中、脳血管内治療などの急性期の外科的なことまで、非常に幅広い領域です。先ほど、神経学会の神経内科医の数が約8千人と申し上げましたが、実際はその倍ぐらいは必要だというのが学会の見解です。高齢化社会においてはまったく足りていないのに、全国的にみると、入局者数があまり増えていない。
脳の科学もずいぶん進んでいますから、今、もっともエキサイティングな医療の領域であると思います。若い方には、もっと関心を持って入ってもらいたいですね。