「これまで」と「これから」

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【生体肝移植の先駆者】社会医療法人 蘇西厚生会 松波総合病院松波 英寿 理事長が語る

■略歴:1981 東京医科大学卒業、岐阜大学医学部第一外科研修医 1989 Princess Alexandra 病院 ( オーストラリア ブリスベン) Transplant Fellow 1990 同病院Senior Transplant Fellow 1990 信州大学医学部第一外科助手(文部教官) 1996 同講師、松波総合病院副院長 2001 松波総合病院理事長■医学博士。南開大学(中国)、リリー病院(コロンビア)、フレニ―病院(アルゼンチン)、朝日大学、岐阜聖徳大学で客員教授、岐阜大学で臨床教授、名古屋市立大学、横浜市立大学、京都大学で非常勤講師、信州大学で委嘱講師も務める。岐阜羽島郡医師会長。

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オーストラリアの恩師ストロング氏と日本の恩師である幕内雅敏氏の肖像画写真の前で。「いつも『先生だったら何を言うだろうな。これをしたら叱られるだろうな』と思いながらやっています」

―113年もの歴史がある病院だそうですね。

 僕は医者の家系の4代目。曾祖父、祖父も、父も外科医で、5代目である僕の長男も外科医として肝移植に取り組んでいます。

 曾祖父は、第三高等学校医学部(現京都大学医学部)を卒業しました。この病院の前身である松波病院を開院しましたが、34歳で病院を一時閉鎖。最先端の医療を学ぶために1904年からプロイセン(現ドイツ)に5年間留学し、グライフスワルト大学医学部で医学博士の学位を取得して帰国しています。

 岡山医科大学を卒業した祖父は、1933年に松波外科医院を開業します。しかし戦争のため軍医として招集され、戻った時には病院は県に移譲されていました。苦労して県から買い戻し、1947年、病院を復興しています。

 父は24時間体制で対応できる救急病院を新設し救急車を導入。CT、MRIなどの新しい医療機器を国内でも超早期に入れることで、最先端医療にも努め、現在の病院の基礎をつくりました。

―ご自身の歩みは。

 外科医になるのは、当たり前で、やらざるを得ないという背景がありましたね。

 学生のころ聞いた講演で、2050年ごろの外科医療の中心となる3つが予測されていました。1つは外傷に対する治療、2つ目が胎児手術、3つ目が移植や人工臓器といた置換外科だろうと。

 それを聞いて、肝臓移植、肝臓外科を選びました。まだ日本では始まっていませんでしたし、いずれ必要になることは決まっている、という気持ちでした。

 岐阜大学の助手としてオーストラリアに留学。そこで世界で初めての成功例となった生体肝移植の主治医を務めました。

 ほどなく、信州大学で若くして教授になられた幕内雅敏先生から、生体肝移植をするから手伝ってほしいと依頼が来ました。しかし、当時の岐阜大学の教授から反対されてしまったんです。

 「そんなばかな話があるか」と思いましたね。僕はオーストラリアで移植をするために医者になったわけじゃない。日本で移植医療をするために、オーストラリアに勉強にきたわけです。なのに、日本で始まる時に手伝えないなんて、自分の存在価値を否定することになる。でも、「命令に背けば懲戒免職だ」とまで言われる事態になってしまったんです。

 当時、僕は領事館で通訳のお手伝いをしていて、領事と親しくしていました。そこで「困っている」と話をしたら、「日本に行くべきだ。私たちが手伝います」と言ってくれました。

 領事館から岐阜大学に、公電で復職届と辞職届を出すことで、無事、岐阜大学を辞職できました。そして、その後は信州大学の助手として留学を続け、幕内教授の肝移植手術のたびに帰国して手伝いました。

 留学終了後は信州大学で助手を続け、幕内先生が東京大学の教授として移られるのを機に、この病院に戻ってきました。こちらでは、民間病院として初めての生体肝移植(1 9 9 7 年)を含め、計25例の生体肝移植を手がけました。

―新病棟、施設の整備が進んでいます。

 たしかに、ハイブリッド手術室もヘリポートもでき、ダヴィンチも入っています。でも、いい病院かどうかは、人がいいかであって、施設やものじゃない。僕はそれを訴えたいんです。

 ハーバードに行ったときに感激したのは、最先端の手術室もあるけれど、うちの病院だったら20年前に使わなくなっているような古い手術室も現役だったこと。

 「なんで」と聞いたら「この手術室でできる手術はここでする。何が悪いんですか」と。それはそうだなと思いました。施設ではなく、自分にしかできない手術ができること。外科医なら、それこそを誇るべきです。

―常に挑戦を続けてきた印象です。現在はどんなチャレンジを。

 今はいろいろな研究をしていて、そのうちのひとつは「いかにやせるか」。僕自身、今、体重が110㌔もあるもんだから、自分のためでもあるんですけれど。

 ほとんどの病気は生活習慣、特に肥満と関係しています。医療費の高騰も問題になっています。この研究で日本の、もっと言うと世界の医療の改革をしてやろうと思っているんです。

 法人内に昨年「まつなみリサーチパーク」という医学研究所をつくりました。文科省の科学研究費申請の権利も得ました。在宅医療のための「管理システムの開発」で特許を取りましたし、「肥満症、糖尿病の新しい治療法の開発」、「新しい採血検査デバイスの開発」で特許申請中です。

 移植手術を自分ですることはなくなりましたので、視点を変えて、社会的医療のためにできることをしています。ほら、自分のためにもなるからね。なんと言っても、30㌔やせないといけないから。


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