災害に強い病院に生まれ変わります

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焼津市立総合病院 太田 信隆 病院事業管理者

1978 北海道大学医学部医学科卒業  浜松医科大学医学部泌尿器科において研究に従事  医師免許取得(第239662 号)  浜松医科大学医学部泌尿器科講座助手  1981 社会保険浜松病院泌尿器科部長  1983 浜松医科大学医学部泌尿器科講座助手  1986 浜松医科大学医学部附属病院講師  1992 焼津市立総合病院泌尿器科部長  博士号取得(医学博士)  2000 東京大学大学院医学部泌尿器科講師  2001 東京大学大学院医学部泌尿器科助教授  2002 東京大学医学部付属病院血液浄化療法部副部長( 兼務)  2004 焼津市立総合病院病院長  浜松医科大学非常勤講師( 兼務)  静岡県腎臓バンク理事( 兼務) 2015 焼津市病院事業管理者

 焼津市立総合病院は病床数471床の急性期病院として「地域の信頼に応えるより良い医療の提供」を理念に掲げ活動を続けている。

 太田信隆・病院事業管理者に病院が地域で果たす役割や新病院について話を聞いた。

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◆2つの役割と4つのユニット

 当院が果たすべき役割は2つあります。1つは、焼津の市立病院として、焼津市民の最低限のニーズに応えること。2つ目は、二次医療圏全体への貢献です。

 まず焼津市民に貢献する方法として、市民の医療需要に応えるために、総合内科に来る患者さんは、紹介状がなくても受け入れています。

 総合内科には、あらゆる疾患、病名の分からない患者さんが訪れます。いわば家庭医の延長のような立場で、医療を提供しているのです。

 次に二次医療圏に貢献するために何をするかです。この二次医療圏には焼津、藤枝、島田、牧之原、の4つの市があります。この4つの市に貢献するために当院では柱となる4つのユニットを作っています。

 神経内科と脳神経外科からなる「脳神経ユニット」。腎臓内科、泌尿器科からなる「腎・泌尿器ユニット」。婦人科・小児科からなる「周産期ユニット」。一般外科と消化器科から成る「腹部臓器ユニット」。この4つが先頭に立ち、二次医療圏全体に貢献しています。

 同じ臓器を扱う内科と外科の各科が、緊密にカンファレンスを行うことで、スムーズな医療連携が可能になりました。

◆個人ではなく組織の医療を

 現在、全国の病院が医師不足に苦しんでいます。これからは医師主導の医療ではなく、医師、看護師、栄養士など職員が一体となって病院全体が組織的に動く必要があります。

 人の能力は、それぞればらつきがあります。場合によっては全部自分でやった方がいい成果が出るかもしれませんが、現実的には不可能です。

 1人では、100%以上の仕事はできません。どんなに頑張っても100%だし、ゼロになることもしばしばです。しかし、それぞれのプロが80%の力を出してくれれば、トータルで見ると良質な医療が提供できるんです。職員から常に80%の力を引き出すことが、私の仕事だと思っています。

 私は、どんなに能力が高くても、ムラがあって時々失敗をしてしまう人よりも、常に安定した力を出してくれる人を重視しているんです。

◆災害への備え

 今の病棟が建築されたのが、1 9 8 3(昭和58)年で、30年以上の月日が経ち、老朽化が目立ってきました。現在の医療に適用する施設が必要ということで、焼津市新病院整備基本構想検討委員会を設置し、新病院の医療機能のあり方や方向性、病床規模など基本構想の策定にかかわる必要事項について検討しています。

 またさらに2011年の東日本大震災が契機となって救急災害医療への要望が高まっています。焼津は海岸沿いの町なので、こういった声が上がるのは当然だと思います。それに我々が応えるにはどうしたら良いか、果たすべき役割に付け加えて「災害に強い病院にする」「災害時に、地域全体を助けられる病院をつくる」というのが、新たな目標ですね。

 新病院のコンセプトは、完成しつつありますが、病院の立地が決まっていません。焼津市の公共施設マネジメントで、病院、焼津市役所の本庁、体育館、文化施設などの再配置計画をしている段階だからです。

 また5年後の東京オリンピックを控え、建築費が急騰しており、具体的にいつ契約を結び、いつ着工するかも、まだ決まっていません。

◆天皇陛下の主治医

 私の医師人生を振り返ると、忙しかったことばかりが思い出されます。45歳までは、午前0時前に帰宅したことがなく、病院で暮らしていたようなものだったんですよ。

 医学部を卒業してから浜松医科大学の泌尿器科に入局しました。当時の浜松医科大附属病院は、開院して半年で、人手不足だったので、馬車馬のように働いていたことを記憶しています。

 その後、焼津市立病院を経て、2000年に東京大学泌尿器科にヘッドハンティングされました。東大の助教授のころ、天皇陛下が入院されて、私が陛下の前立腺全摘術前後のお世話を担当させていただきました。世間からは「天皇陛下の主治医」などと呼ばれ、とても貴重な経験をさせていただきました。

◆医師の本懐

 医師は、自らの出身大学や人間関係の中で一生を過ごす人がほとんどですが、私の場合は、変化に富んでおり、充実した医師人生だったのではないでしょうか。

 医師は、さまざまな人と接することができ、その人たちの生活に関与して、それを支えることができます。こんな職業は、ほかにないと思いますよ。

 当院は市唯一の総合病院なので、ありとあらゆる患者さんが来ます。その人たちの日常生活から食生活まで入り込み話し合うことができるのは面白いですね。

 自分の専門領域にとらわれずに、患者さんを診て、その対策を練ることができるのも、医師の魅力です。人間が生きていく上で生じてくる、いろいろな問題すべてに関与できるんですから。


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