ほうたる
母が1人で暮らす実家から徒歩でそう遠くないところに、小6まで生活していた小さな集落がある。
この夏、盆帰省の時に、来るのは今日で最後かもしれないと思いながら、何年かぶりに歩いてみた。
家々は傷み、廃屋が増え、懐かしい場所は消えて、道も狭く感じてわかりにくくなり、自由律俳人種田山頭火の「うまれた家はあとかたもないほうたる」を思い起こした。でも眼前には50年前の風景が広がり、子供の私が近所の子らと歓声を上げながら走り回っていた。
集団登校でいっしょに小学校に通ったヒデちゃんは、「ぼくはお医者さんになる」と言って本当に医者になった。
老いた彼の母親が私を見て、「何十年ぶりかね。ヒデイチは宇部におるよ。あした帰ってくるみたいじゃが、ずっと宇部におるじゃろう」と、腰の曲がった老農の姿で私を見上げた。
青い山
その盆帰省の時からティン・ホイッスルというブリキの小さな縦笛を練習している。アイルランドの民族楽器で、福岡市東区の箱崎水族館喫茶室に1000円で売っていた。曲は2つ。賛美歌のAmazing Grace=アメイジング・グレイスと、Inisheer =イニッシアー。
楽譜は読めないしリズムもうまく刻めない。それでも家の近くの広い公園で、思い通りに動かない指に苦心していたら、近所の主婦が家から出てきて「おや、あなたでしたか、上手な日とヘタな日がありますね」。どうやらそこら中に聞こえていたみたい。次に出て来るのは町内会長か民生委員か。だから今は休日に、山の中で吹いている。遠目に見れば山や木々に祈りを捧げているようでも、音を聞けば汚(けが)しているようにも見えるかもしれない。―分け入っても分け入っても青い山(種田山頭火)
啼かない鳥
そして平日は時々、福岡県庁舎裏のとても大きな東公園に行き、樹木の中に隠れるようにして吹いている。すると、逃げていくものと寄って来るものがいる。逃げていくのは野良猫。とても耳障りなようだ。寄って来るのは、家があるのかないのか、その限界にいると思われる、いわゆる限界市民。今日も陽に黒く焼けて自転車に荷物をいくつも乗せた中年の自由人が、近くのベンチに所在なげに座ってたばこをくわえ、上体をこちらにねじって吸いだした。「うるさい音ですみません」。そう謝って逃げ出したのは私のほうだった。
―一羽来て啼かない鳥である(種田山頭火)