国立病院機構 都城医療センター 井口 厚司 院長
―病院名を変えましたね。
名称の変更は私が決めました。国立都城病院という名前がついたのは、陸軍病院が厚生省(現厚労省)に移管した1945年ですから、今年が70周年の節目ということもあります。また、若い医療者から見れば、国立都城病院という名前は古めかしい感じがするのではないか、医療センターに変えたらそれなりの新しい取り組みをしたり、今後この地域でセンター、つまり核としてやっていく意気込みも持っているというアピールが伝わるのではないかと思い、その気持ちで病院の幹部に相談したら、みんな積極的に賛成してくれ、反対意見はありませんでした。職員の今後の医療に対するモチベーションも上がればいいと思います。
4月に変わったところですからタクシーの運転手さんにはまだなじんでいないようですけど、地元紙に取り上げられたこともあって、市民には行き渡っているようです。
―いま建築中の建物は。
外来診療管理棟です。7年前に病棟ができ、そのあと手術棟や放射線治療棟を造り、最後に残ったのが院長室もある外来診療管理棟です。この院長室を見てもわかるように配管が室内にむき出しですからね。昭和40年代に建てられたので、来院された方にもずいぶん迷惑をかけました。これで建て替え工事がすべて完了ということになります。
―地域包括ケアをどうとらえていますか。
8月4・5日に同センターで開かれた「小学生・中学生医療体験ツアー」には横浜や福岡からの参加者もいたという。写真は左から、前列:若松師長、 井口院長、江崎看護部長、後列:鳥丸師長、井上師長、三島副看護部長
地域包括ケアの中心は病人ではなく、地域で暮らしている住民です。
その中でも高齢者は生涯のうちに3回くらい入院する可能性があり、場合によっては療養施設に行くかもしれないし、家に帰ることができるかもしれない。そして、一度は病気になったけれども普段は健康な人として暮らしていきながら、病気にならないように予防のサポートを受ける。さらに介護が必要なら介護を受けるというような、そのすべての情報を共有するのが地域包括ケアシステムです。
これまでは医療の連携だけでしたが、今後は普段の生活や介護などとの情報共有が求められます。そしてその推進に役立つのがICT(情報通信技術)です。
ICTで情報共有している地域は全国に増えていますが、全国どこでも情報共有というわけではなく、地域ごとに限定されています。日本はまだ電子化の環境になっておらず、400床以上の急性期病院でも電子カルテの導入は6〜7割、回復期病院はもっと少なく、診療所では2割くらいでしょうか。もうひとつは住民そのものが電子化された環境になじんでいないということです。地域包括ケアを必要とするお年寄りのほとんどがパソコンを使えません。国は「どこでもマイカルテ=どこでもMY病院構想」を進めようとしているようですが、環境が整うまでは実現は難しいでしょうね。
日本全体としては大都市で高齢者が急速に増え、地方では減少して医療介護の資源が余ってくるので、東京圏などから過疎の県に移住するよう促す方策がとられるかもしれません。都城は2025年が医療需要のピークで、それ以降は減少に転じていきます。今後は病床機能の分化と変換、7対1看護の見直しなど、医療界にいろんな変化が起こります。それに備え、地域包括ケアシステム内でのコミュニティーづくり、医療介護の標準化と連携の強化、電子化の準備を進めていくつもりです。
―読者に伝えたいことは。
この春、ヘリポートを備えた都城市郡医師会病院が近くに移転してきました(本紙3月20日号に掲載)。当院と同じ基幹病院としてうまく住み分けできているので、都城という敷地内に大きな病院が2つ控えているようなものですから、住民の皆さんに安心してもらえると思います。