古典が好きな読書で、しかしヘルマンヘッセの「シッダールタ」(高橋健二訳)をまだ読んでいない人は、おそらく運がいい。この本は、ゲーテの「ファウスト」やダンテの「神曲」と同様、中高年にさしかかってから読むものだ。
私は中1の時にうっかり文豪ドストエフスキーの「罪と罰」を、わけがわからないまま読んでしまって脳裏の読了リストに記載されてしまい、以後これを手に取ることはない。
だから短編「シッダールタ」(高橋健二訳)をまだ知らない老読書家は、今秋(こんしゅう)の1冊として読んでみてはいかがだろう。どこの本屋にもたいていあるから入手はたやすい。
私がこの本を初めて手にしたのはいよいよ五十にさしかかろうかというころで、主人公シッダールタが、遊女カマーラに「私は待つことができます」と言った、そのひと言が胸に刺さり、染みた。そうだ、私は待つこともできるのだ。
結局のところ読書は自己の投影で、なかでも古典に属するものは、庶民の手から手へ、口から口へと伝えられた挙句に残り得たものだから、本質のところでウソがない。
ヘッセは「ガラス玉演戯」などが評価されて1946年にノーベル文学賞を受賞している。
その「ガラス玉演戯」(高橋健二訳)は手元にあるが、まだ読んでいない。70歳になった時か、余命を告げられる事態になったら、今終の一冊として読むつもりだ。(九州医事新報編集長)