高知大学医学部産科婦人科 前田長正 教授
―高知県の産婦人科界の現状は。
昨年1年間の「日本の出生数」が100万人と先日の新聞報道にありました。高知県では5千人、日本全体の0.5%にとどまります。
実は、県内の実働的な産科医は44人、1人当たり年間約120人を取り上げています。この地方の実情を打破するために、少しでも多くの若い人たちに産婦人科に入ってきてほしいところです。
今まで、高知大医学部を出ても故郷へ帰るという人が多く、残ってくれた人も内科や外科へ進んでいました。産婦人科医の道を選択する人は実に少なかったのですが、さまざまな取り組みにより、今日少しずつ状況が改善されつつあります。
―具体的には。
日本産科婦人科学会の試みに「PlusOne 事業」や「サマースクール」があります。
PlusOne 事業は、産婦人科の魅力を伝えることで各大学が前年より1人以上多い入局者を集めようというもの。
サマースクールは、学生や研修医が参加して、産科実技セミナーなどを行うものです。
これにならって高知大学産科婦人科学教室でも、「ミニサマースクール」を開いています。これは、企画・立案・ポスター作りまで若いドクターたちが率先して動いてくれ、30人以上の参加があったようです。
学生たちの「先輩たちが行くなら私も行く」という縦のつながりによって、産婦人科医を身近に感じる学生が増えたらうれしい。そのよい循環が続くことに期待しています。
ほかにも、内視鏡手術のトレーニングを実際に体験してもらう機会も設けています。この試みにも30数人集まり、終了後には打ち上げをして交流を深めています。
大学の特徴で「先端医療学コース」というプログラムがあります。
これは、通常卒業後からの研究や論文執筆を、大学2年生から4年生まで3年間行うものです。
この制度は2010年に作られましたが、その学生たちはモチベーションがとても高い。「研究もしたい、論文も書きたい、学会も行きたい」というような学生に「将来の進路」を尋ねると「産婦人科医になりたい」という人が意外と多いように感じます。
3つ目に、文部科学省が「地域枠推薦入試」を2008年から導入しました。これは大学入学時に「卒業後、本県に残る」という約束をするものですが、その制度で入学した人たちが医師になり始めました。全体約100人の3割にあたる約30人が該当します。確実に高知県に残ってくれる30人のうち、数人でも産婦人科志望の人がいてくれれば希望がもてます。
これらの取り組みで、毎年2〜3人の入局を目標にしています。
当大学では結婚・出産を経ても女性が復帰できる体制を整えています。週に1回3時間だけでも外来を行うなど継続性を持ったり、行事だけでも参加して教室員とのつながりを維持することで、時代や技量への適応についての不安も軽減され、復帰への敷居を本人が低く感じられると思います。私たちはそのような環境づくりを心掛けています。
―県としての産婦人科への取り組みや連携は。
高知県ならではの取り組みとして、全県で「BVSCORE(細菌性膣症のコントロール)」を行っています。
これは、妊娠初期に子宮の入り口に乳酸菌以外の菌がいないかを調べ、早期に菌を駆除することで、低体重で生まれる赤ちゃんを減らすことができます。また、妊娠中期に子宮頸管長を頸膣超音波で測定し、早産の早期発見と対応を目的とするものです。
地理的な面で横に長く、人も、産婦人科医も少ない高知ですが、高速道路、ドクターヘリの整備などでようやく空と陸の搬送環境の改善ができてきました。
当大学と基幹病院とが密な連携をとることができれば、当県にとっての安心につながります。
―南海トラフ地震を想定して。
現在、高知大には医師のDMAT(災害派遣医療チーム)が5人しかおらず、産婦人科には、若いころDMATの資格を取得した医師が1人いるだけです。
東日本大震災の翌日、外来を診ていたその医師は、急きょDMATとして出動し、帰ってきて「妊婦さんが予想以上に多い。お産するところがない」と言っていました。
災害時など病院外での妊産婦急患を想定した基礎的なトレーニングプログラムとしてBLSOがあります。これは車中での分娩介助や新生児蘇生を学ぶものです。
また、病院内の妊産婦救急を想定したALSOもあります。
南海トラフ地震で津波に襲われて、完全に高知が孤立するような事態になった時にも対応できるよう、災害対策に本腰を入れ、ALSO・BLSO・DAMTの3つができる産科医を増やしていきたいと考えています。