いのちことば「安楽死」を考える 【鐘ヶ江寿美子】
米沢氏はブログ「いのちことばのレッスン」をはじめ、時代にかかわる様々なことを〈いのち〉にまとめてとらえる思考的トレーニングを重視している。今回は、いのちことば「安楽死」がテーマである。
日本では致死薬を処方して自死を助ける(積極的)安楽死は違法であるが、ヨーロッパではオランダ、ベルギー、ルクセンブルグで安楽死が合法化されている。スイスでは1942年に自殺幇助法ができ、医師の処方した致死薬を患者自ら服用する手助けが可能である。チューリッヒ大学の調査によると、2008年から2012年までに、31カ国、611人が安楽死を求めてスイスに渡航していた(Suicide Tourismという)
■身終い(みじまい)
フランス映画「母の身終い」は、がん終末期の母親が緩和ケアを退け、スイスでの合法的な自殺幇助による安楽死を選択し、最期を迎えるというストーリーだ。息子が出所した時、母親は悪性黒色腫による脳転移に対し放射線療法を受けていた。主治医より転移性脳腫瘍の予後を説明され、母親は「突然その時が来て、床に倒れてそれっきりということは嫌です」と安楽死の決意を固めた。主治医は安楽死には反対だが、彼女の想いを尊重すると語った。スイスには安楽死の機会を提供する協会があり、その調査員より「あなたの人生は幸せでしたか」と聞かれた彼女は「人生は人生ですから」と言い、「神様は信じますか」に対し「さあ、どうでしょう」と淡々と応えた。彼女はごく普通の前期高齢者であった。何かと母親と衝突していた息子も彼女の意思を尊重し、スイスに渡り、最期の瞬間を共にする。
映画のタイトル「身終い」は造語だが、「人生の最期をどう迎えるか」という意味を含有する〈いのちことば〉である。米沢氏は特に「身」に注目している。貝原益軒はいのちのすがた・かたちを「身」と表した。漢文学者の白川静は「身」は身ごもっている人の側身形の象形とし、「いのち」という概念を表すことばと説いた。「身」は〈いのちことば〉の原点(中心)である。
■安楽死
人生の終わりは誰にでもおとずれるが、安楽死を求める人もいる。安楽死に関するアンケート調査(週刊文春メルマガ会員1143名対象)で、約7割の人が安楽死に賛成していた。比較的若い世代の意見を示唆する結果であると米沢氏は紹介した。
「症状緩和が困難」「自分を失うまで生きたくない」「生きる希望が見出せない」など、安楽死を求める理由は多様だが、その根本は「最期のあり方は自分で決めたい」という純粋な気持ちかもしれない。
映画「母の身終い」では、主人公は夫の死を取り上げ、「あんな死に方はしたくない」と言った。過去の看取りの経験が、彼女の終末期のあり方に深く影響しており、グリーフケアの重要性を再認識した。また安楽死が「死のプロセス」を短縮するものであれば、その人と関係性をもって生きている人の悲嘆のプロセスへの影響を懸念する。
映画では、安楽死の隠喩として「自己救済の選択」という表現が使われていた。現在の日本には、生命の危機に瀕した人が安楽死を否定するに相当する救いの道が十分にあるだろうか。家族や友人、医療や介護専門職、市民ボランテイア、地域社会はその役割を担うことができるであろうか。宗教は救いの一助になりうるだろうか。さまざまな疑問が湧いてくる。