どう進めていくかを、城卓志・名古屋市立大学病院長に聞いた
1931年に開設され、約80年の歴史がある名古屋市立大学病院。医学部のほか、薬学部、看護学部、分子医学研究所など医学・医療系の学部と研究所があり、学生実習、卒後研修はこれら3学部が協力して行なっている。医療デザイン研究センターと「なごやかモデル」プロジェクト。どう進めるかについて城卓志院長が語った。
前列左から、大原副病院長、芝本副病院長、城病院長、小椋副病院長、村上副病院長、平岡副病院長 後列左から、東医事課長、青山業務課長、三浦事務課長、浅井医学研究科長、大手病院長補佐、木村病院長補佐、成田医学部管理部長、廣瀬中央放射線部技師長、脇本中央臨床検査部技師長、村松リハビリテーション部技師長
―今後、どの方向に未来を見ているのでしょうか。
そこは結構はっきりしています。私たちは常にユニークで特徴のある存在でありたい。その特徴には2つあって、1つは大学として6学部7研究科のユニークな面を医療に取り込みたい。
たとえば経済産業省に援助してもらって「医療デザイン研究センター」を病院の中につくり、センター長には芸術工学部の國本桂史教授が就任しました。
医療の世界には旧態依然とした機器や設備がたくさんあるんです。気管挿管などに用いる喉頭鏡は、70年間デザインが変わっていなかった。車いすもそうですし、空調やオペ室、検査室も、使用者の動線を計ったわけでもない。これまでの大学病院には工学系の力がほとんどなかったと言えます。医工連携という言葉をよく聞くようになりましたが、うまくいっていないようです。我々は病院の中で融合させる。病院の中は、医学部と少し違って実社会の面が強いです。そこでは薬学部も医学部も看護学部も居場所がありますが、工学系の人は入ってくる場所がないんですよ。これは良くないことだと思います。
私たちは医療者として患者さんや医療機器に触れていますが、もの作りの技術、センス、知識をすべて備えた人たちが別に必要になるわけです。だから工学系の人たちを医療人として迎えたいというのが「医療デザイン研究センター」をつくった目的です。現在、多くの開発プロジェクトが進んでおり、ポテンシャル(潜在的な可能性)は高いと思います。
2つ目は行政とのつながりです。文部科学省の未来医療研究人材養成拠点形成事業プロジェクトとして、「なごやかモデル」を進めています。高齢化が先行する名古屋市緑区の鳴子地区を実践研修の場として、住み慣れた土地で、豊かに老いを迎え、その人らしく暮らすことのできる社会作りを支える医療人材の育成が目的です。
―医療が生活の中心になる時代が来ていますか。
先ほど話したもの作りがありますね。その先に介護ロボットなども我々は視野に入れています。
病院の中には医療に関する産業の入口もあれば出口もあります。ニーズがあればそれを作り、効果を確認することもできる。課題があるとすれば、作る人と売るシステムです。市場の規模は自動車産業以上になると聞いたことがあります。国もそこに方向を見出しているようですから、我々も協力することになると思います。
名古屋は東京でも大阪でもない独特の文化があります。そのうちリニアモーターカーも停まるので、今後の役割は大きくなってくるでしょうね。
―若い医療者に助言があれば。
医者という職業は社会の変化やニーズによって形作られる面があります。それを踏まえて、倫理に縛られながら誇りは持っておかなければならない。命に関わることを仕事に選んだことと、生涯勉強し続けるのだという感覚。これは医者であるかぎり捨てるわけにはいきません。それが結果として、信用され、好かれ、尊敬され、患者さんから選ばれる医者になれるのだと思っています。