人を引き付ける「マグネット病院」が理想の姿

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広島市医師会運営 安芸市民病院 三好 信和 院長

1972 広島大学医学部卒業 同第一外科入局 1982 同第1外科講師 1985 呉共済病院外科医長 2006 同副院長 2011 安芸市民病院院長
■所属学会:日本外科学会専門医・指導医 日本消化器外科学会専門医・指導医 日本大腸肛門病学会専門医 日本乳癌学会 日本臨床外科学会 等

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■存続の危機を乗り越えて

 昨年8月の広島市安佐地区での豪雨による土砂災害は記憶に新しいかと思います。同様の災害が1926年に当地区に発生し、当時、畑賀村と呼ばれていたこの地区も甚大な被害を被りました。

 災害の数年前から広島市は当時の国民病である結核の病院をどの地区に建設するか頭を悩ませていました。

 大洪水による財政難に陥った畑賀村が病院誘致に名乗りをあげ、結核病院をつくることになりました。その病院こそが安芸市民病院の前身、広島市立畑賀病院です。

 その後、太平洋戦争を経て1947年に厚生省に移管、国立広島療養所分院国立療養所畑賀病院となり、1952年に独立、国立療養所畑賀病院になりました。1985年に国が国立病院、療養所の再編成・合理化の基本方針を策定し畑賀病院も統合対象施設になりましたが、そのとき住民から存続要望の請願書が市議会に提出され、病院を広島市に譲渡する形で存続することができました。

 2001年に広島大学と広島市、広島市医師会の三者で協議し、広島市医師会が指定管理者に決まりました。呼吸器疾患、循環器疾患を中心に緩和ケアと人工透析部門を加えての新たなるスタートでした。その後法制の改正により2003年広島市医師会を指定管理者とした現在の形の公設民営の病院となりました。

 私が赴任した時には10年経過していましたが、その後、外来がん化学療法室や専門外来を増設して、常勤医12名で地域医療と基幹病院の後方支援を中心に行なっています。診療日は土曜日を終日開けて休業は水・日祝日とし他院の休診日の溝を埋めています。

■質の高い緩和ケア

 当院の緩和ケアは20床で大病院に匹敵するベッド数を誇っています。主に広島市内の基幹病院から市内東部の患者さんを受け入れています。

 近年は緩和ケアでも帰れる状態の人は在宅に戻すという流れなので、在宅の緩和ケア医療に力を入れています。担当ドクターの松浦医師がとてもがんばってくれているので助かっていますね。

 当院の緩和医療は広島県のモデルケースになっているので、これからも充実した緩和医療を展開していくつもりです。

■優秀なメディカルスタッフ

 大学医局から常勤医師を1人だけ派遣するのが難しい状況です。医局から派遣する場合、最低3人1セットで派遣するのが基本です。

 当院は、一般病棟が60床、療養病棟が60床、緩和ケア病棟が20床の合計140床です。この病床数で標榜科すべてに常勤医を3人1組で受け入れるのは現実的には難しいですね。

 医師を循環器、糖尿病など外来で需要の多い科に週に2回派遣してもらっています。現在常勤医師のいる科は、呼吸器、消化器、外科、緩和ケア、人工透析、小児科(外来のみ)です。

 患者さんだけでなく医師、職員が集まる、明るく、やりがいに満ちた病院を目指しています。最終的には、ぜひこの病院で治療を受けたい、この病院でぜひ働いてみたいと思わせる「マグネット病院」(人を引き付ける病院)が理想です。

 今後も地域医療を推進していき、次のステップとしてきらりと光る部分がある特徴のある病院にしたいと考えています。

 前院長の故横山隆先生の努力の甲斐もあり経営は順調です。院長に赴任したときは私も負けないようにがんばりましたね。その甲斐あって黒字経営を続けています。

 われわれの自慢はメディカルスタッフが優秀なことです。現在89名の常勤看護師がいますが、その中に認定看護師が7人専門看護師が1人と約1割が上級の有資格者です。副院長で看護部長の川崎さんの努力と、研修に行きやすい環境が周囲に認知され、志の高い応募者が次々と集まってくれているのが最大の要因ではないでしょうか。

■恩師の存在

 院長に就任したのは2011年です。専門は消化器外科で、当院に来る前は呉市の呉共済病院に24年間在籍していました。

 前院長の横山先生は外科医ですが、広島大学の総合診療科初代教授でした。私の先輩であり、恩師でもあります。横山先生からは医学のイロハを教わりました。父親の代わりをする長兄のような存在でしたね。

 医学部時代は柔道部に所属していました。第一外科には柔道部の先輩が数多く在籍し、その先輩に引っ張られるかたちで入局しました。

 外科は先輩後輩の結び付きが強い縦社会であり体育会系です。実際に外科医はスポーツマンが多いんですよ。

 当時は今のようにコストパフォーマンスでものを決めるような人はいませんでした。先輩がいるからとか、なんとなくで進路を決める人がほとんどでした。当時を振り返ると楽しい思い出でいっぱいですね。

 半人前だったころは教授にこっぴどく怒られることもしばしばでした。でも、人間関係の悩みはまったくありませんでした。目の前の事に追われてそれどころではなかったというのもあるんでしょうか。

 呉共済病院に行ったのは医師になって13年目、ようやく手術が一人前にできるようになったころです。今でこそ腹腔鏡手術が主流ですが、当時は開腹手術が主でした。大きな手術ができることが楽しかったですね。

 朝9時半に手術室に入り、すべてが終わって家に帰る頃には外は真っ暗なんてことは日常茶飯事でした。

 手術中は何時間立ちっぱなしでも集中しているので、まったく疲れません。眠たいなんてことはないですね。家に帰った途端にぐったりとしてしまいますが。

 午前中にひとつ、午後にひとつ手術をして、その合間に外来や病棟に出る。家に帰り着くのは真夜中です。50代の半ばまではしょっちゅうでした。家庭も顧みず、仕事に没頭していたのですが、忙中閑ありでそれなりに楽しいこともありました。家族は妻にまかせきりでしたね。

■スローガンは「而今」

 若い医師には、自由な発想でいろいろなことにチャレンジしてほしいです。最終的に進むべき方向性を決めるのは10年くらい経ってからでもいいと思います。その後は目標に向かって死にものぐるいで仕事に没頭してほしいですね。加えて年齢を重ねても夢見る人でありたいですね。

 当院のスローガンは「而今(じこん)」です。

 これは道元禅師の言葉で、過去のしがらみにとらわれず、先のことをあてにせず、現時点を一生懸命に生きよという意味です。今風に言えば林修先生の「いつやるの、今でしょ」ですね。


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