神戸市の「神戸国際メディカルフロンティアセンター」で、生体肝移植を受けた患者の9人中5人が死亡した問題で、神戸市は今月12日、同センターに対し、改善指導を行なったと発表した。
日本初の生体肝移植は1989年11月13日、島根医大付属病院第二外科で行なわれた。患者は生後間もない男児で、先天性胆道閉鎖症を患っており、肝移植をするしか助かる見込みがなかった。移植担当医は、九州大学医学部出身で、当時島根医大助教授の永末直文医師。当時の日本の医学界では、移植手術がタブー視されていたため、手術を打診された当初は難色を示していたが、悩んだ末、移植手術を引き受けることを決断した。このとき永末医師は、手術を引き受けるとそれが成功か否かに関わらず、医師生命が断たれるかもしれない。そうなったら郷里の福岡に戻る決意で臨んだそうだ。
目の前の患者の命を救うためにタブーをやぶり、移植手術に先鞭をつけた功績は大きい。手術の285日後に男児は死亡してしまった。しかし男児の母親は、永末医師と手術チームに感謝し、数年後に生まれた子供の名前に永末直文医師の「直」の字を使ったそうだ。この手術を境に日本の生体肝移植は一気に進んでいった。
今年10月に医療事故調査制度が始まる。医療死亡事故の原因究明と再発防止のために行われるもので、医療の安全に寄与する制度だと思う。その一方で、事故を恐れるあまり、医師が萎縮してチャレンジ精神を失ってしまっては日本の医療にとって大きな損失だ。医師と患者遺族の双方に意義のある制度へと発展していくことを切に願っている。(新貝)