産業医科大学若松病院 鈴木 秀明 院長
2011年、北九州市から産業医科大学に譲渡されて開院した「産業医科大学若松病院」。2代目となる鈴木秀明院長に、就任からの1年間を振り返ってもらった。
―院長就任から1年です。力を入れてこられたことは。
若松区唯一の総合病院として医師会など地域との連携体制強化に力を入れてきました。病診連携、病病連携のためには、やはり顔が見えるということが大事です。勉強会、懇親会も含めて、顔を合わせる機会を多くする努力をしています。
また、この地域は高齢化が顕著です。移動手段のないお年寄りは、なるべく近いところで診ていく必要があります。移動が難しいという声もありましたので、この4月には訪問看護ステーションも立ち上げました。
避けて通れない課題としては、市立若松病院時代から続く営業収支の問題があります。今は産業医科大学病院との一体経営です。その状態はとにかく解消したい。まずは赤字をなくしたいと考えていますが、まだ実現していません。
ただ、手術件数は確実に伸びてきていますし、病院が地域に定着してきていると感じています。
―院長の難しさ、おもしろさは。
2013年度までは経営面に関わったことがなかったので、経営を考えながら医療を行なうというのは大変だと改めて感じています。
もう一つ、職員250人の意見を集約し、病院の展望にも合致するようにまとめていくのも大変だなと思います。結局、最後には自分の責任で決定することが必要です。地域のニーズ、患者さんや医師会からの要望、それらを含めて考え、リーダーシップを発揮することも大事になってくると思います。
―貴院の特長は。
大学病院の分院ですので、それぞれの専門領域について高度な知識と技術を持った医師をそろえられるというのが強みです。
昨年11月、泌尿器科医が週3日から常勤体制になりました。高齢男性を中心にかなりの需要があります。眼科と耳鼻科も手術件数が大きく増えていますし、産婦人科も拡充し、高齢女性に多くみられる骨盤臓器脱の手術件数が伸びています。
「どこの診療科に行ったらいいかわからない」という大学病院に起こりがちな問題を解決するため、昨年9月には総合内科の窓口を設けました。
内科系の5つの科が輪番で総合内科の窓口を兼務する形で、これだと立ち上げのコストがほとんどかからない。いい案だと思っていますが、結論は今後の評価や分析を待つところです。
大学病院の役割は、臨床、教育、研究。それは分院でも同じです。教育と研究は、臨床にとっては時間と労力的にマイナスだと感じるかもしれません。でも、学会への参加や発表によって、知識や技術を更新し続けているという自負があります。
―耳鼻科医になった経緯は。
山形県の寒河江(さがえ)という小さな町で生まれ育ちました。東は蔵王連峰、西は出羽山地。周りの山がすべて冠雪している早春の景色が、何とも言えず美しいところです。
医師という仕事を何となく意識したのは小学生のころでしょうか。小児科医院が自宅近くにあり、発熱して行くと、深夜でも対応してくれました。東北出身の細菌学者で医師でもあった野口英世の伝記を読む機会もあり、立派な仕事だなとも感じていました。
高校の時に医学部を目指したのは、そんな幼いころの記憶があったからでしょうね。そして、手術をする科がいいと整形外科や泌尿器科などと迷った結果、いい先輩に出会えた耳鼻科を選びました。
―北九州の印象はどうですか。
2003年、こちらに来ました。30年以上前の大気汚染の話を聞いていたので心配もしましたが、今はきれいな環境ですね。東北と九州は気候がまったく違いますが、人情に厚いところは、よく似ていると感じます。
東北と九州、どちらがいいか、と時々考えます。九州に来たころは夏の暑さになかなか慣れませんでした。最近は冬しのぎやすいほうがいいかなと思っています。
―趣味は。
一番は仕事です。それから休日はジョギングや登山をしています。
読書も好きですが、ある時期から流行の本は読まなくなりました。夏目漱石、太宰治、ドストエフスキーなどのロシア文学。特に100年以上読まれている本はすごいですね。
もう少し余裕ができたらスキーも、ぜひ再開したいと思っています。