鳥取県立中央病院 日野 理彦 院長
― 鳥取県立中央病院の沿革、特長など。
1975年に鳥取市内からこの土地に移転しました。病院機能を高めるという方針があったと思います。移転するまでは鳥取赤十字病院のほうが鳥取市内の病院機能の中心でした。ここに移転していろいろな設備やドクターの充実が進んでいます。
この地域の機能分担・役割分担のなかで、現在では高度急性期医療に重きを置くということで地域のコンセンサスを得ています。機能分担については、ここ数年、とくに国の政策に誘導されて徐々に明確になっています。地域医療ビジョンの運用が始まった際にはもっと明確になるでしょう。
― 高齢化が進むなかで地域のニーズとして急性期医療が進んでいます。地域包括ケアについてはいかがでしょう。
地域包括に向けた取り組みについて、現段階では具体的な計画はありません。さらに地域連携を進めることがそれに対応すると考えています。
当院は高度急性期を目指しています。紹介率は60%、逆紹介率にいたっては約120%。地域連携はうまくいっているのではないでしょうか。かなり機能分担が進んでいると認識しています。
現在の病床数は431床ですが、新病院では518床まで増やします。時代の流れからすると病床を増やすことは考えにくいことでしょう。これについては、約2年前に鳥取赤十字病院と行なった協議が病床増の契機になりました。
その協議では病院統合の話まで突っ込んだ話し合いを行ないました。結果的に、鳥取赤十字病院で使われていない88床を放棄したんです。
しかし、当院としてはこの地域にとって不必要な病床ではないという考えがありましたので、厚労省の許可を得て当院に移しました。これに緩和ケア病棟を加えて518床にしたわけです。
この病院の機能としては、急性期、救命救急とがん医療、周産期母子、小児科医療があり、新病院では脳卒中センターと心臓病センターを新設します。
― 地方の病院に共通の課題である医師の確保について。
医師の確保は最大の課題です。現在、常勤医が87人在籍しており、研修医も18名受け入れています。常勤医は基本的には鳥取大学から派遣を受け、あとは自治医大の卒業生に残っていただいています。
研修医は、その大半が2年の研修が終わった後、大学に入局して後期研修を行なうことになります。いったん大学に帰ってもらって、また一人前になったら派遣してもらうという循環が軌道に乗り始めています。
いわば「医師養成の循環」は意識して実行しています。大学にとっても山陰地方では当院が一番の基幹病院になりますので、学生教育も分担して行なっていくということですね。
医学部の教育が大幅に変わり、実習の量がこれまでの2倍くらいに増えるので、附属病院ではとてもカバーしきれない。それを当院が引き受けるという役割もあります。
― 地域枠で入学した医師が卒業しています。
鳥取大学の最初の地域枠入学者が卒業して3年ほど経過しているのではないでしょうか。しかし、当初の計画とは違い、卒業生の半数が県外に出て行って戻らないようです。
自治医大のように、明確なミッションを持って教育にもそれを反映させている大学とは違うので、人間を縛ることはできません。そうなると制度設計に間違いがあったのではないかという議論になるのかもしれません。
― 鳥取のへき地医療について。
当院はへき地医療拠点病院でもあります。へき地医療従事者として、当院から自治医大出身の医師を県の人事としてローテーションで送るようにしています。
しかし、じつは鳥取には外から見るほどへき地がないんですね。鳥取は山陰のほかの県、広島や島根、岡山ほど山深くないんです。だから切迫感があまりない。地方自治体から出す医師の派遣要請がありますが、鳥取からは年々減っています。医療法上の充足率でいえば100%を超えているところが多い。
― 医師として大事にしていることは。
当院に来る前からですが、理念として「医療は心」ということを大切にしてきました。
もうひとつは、人間らしい情を持った医師であること。その人に入り込む医療、専門用語でいえば共感的理解になると思いますが、心をこめた情のある医療をしたいとずっと心に置いていました。
心をこめた医療とは、患者さん本人だけではなく、家族を含めて入り込んで理解していくということです。
私は専門が血液内科ですので、白血病や悪性リンパ腫など、かつては治らない病気を相手にしてきました。病気との闘いのなかで気付いたのが、亡くなっていく人のために、当然、医師は全力を尽くすが、もっといえば、その周りの悲しむ人に対しても医師は目配りしなければならないということです。
地方の家庭では子どもが東京や大阪など大都市に出て働いていることが多いんですね。そうなると、頻繁に帰ってくることができず、かえって、いつも親のことが心配で頭から離れない。
だから、診療を終えた夜、私のほうから子どもさんに電話をしていました。ご両親の様子や状態などを折に触れて伝える。
心配でたまらないのになかなか帰れないという人のためには、毎日でも電話していました。「最期の日に一緒にいたければ、まだ大丈夫だけどあと2日したら帰ったほうがいい」など、切実な会話をすることもしばしばです。
患者さんの家族が離れて暮らしていることが多い地方の医師はそうあるべきではないでしょうか。患者と医師という立場を越えて人間関係を作らなければなりません。
― 2018年の新病院開設にむけて展望など。
医療制度が激変しています。総医療費はあまり増えませんが、この地域の65歳以上の高齢者人口は減らないのです。
老年人口は変わらずに若者は減り続ける。そういった時代に医療をどう構築していくのか。国民全体で考えていかなければなりません。
医療の転換期における地域の医療機関の役割としては、治療のために他県、他地域へ行って治療を受ける必要がないという安心感を提供したいですね。鳥取にいても最先端医療を受けられるという機会の担保、それがわれわれの責任だと思っています。
医療格差をなくすという公的病院の大きな使命もあるでしょう。現代風にいうと「使命を果たす」ということになるのでしょうが、この地域で長い時間をかけてつくりあげたポジションを守り続けたいと思います。