財団法人潤和リハビリテーション振興財団 宮崎リハビリテーション学院 脇坂 信一郎 学院長/宮崎大学名誉教授
学院のこれまでとこれからを話してください。
この学院が発足して最初の入学式が1982年の春のことで、3年前に30周年を迎えました。
当初はPT(理学療法士)学科30人のスタートでしたが、少子高齢化やリハビリテーションに対するニーズの高まりで、当学院の卒業生を希望する医療機関が多くなり、開設10周年を機にPTを2教室60人、さらに2008年にはPTを昼間部40人、夜間部40人とし、OT(作業療法士)学科も定員40人でスタートさせました。
しかしそのころから全国に養成校が増え、当地でも応募数が少しずつ減少するようになりました。
経営面から言えば学生数に大きな影響を受けるので、門戸を広げる必要があります。しかし質を担保するためには、誰でも入学させたらいいというものでもありません。
入学式の時に私はいつも学生に、「この学院が責任を負っているのは、入学者を全員卒業させることではない。充分な学力と技術を持った卒業生を輩出することが、患者さんに対する責任だ」と話しています。国家試験に合格するレベルに達しなければ卒業させられない、というのが方針です。
そうなりますと、入学の時から人間性を見ることになります。医療は人間同士の関わりですから、いくら成績が良くても、コミュニケーション能力の劣る人は入学させられません。さらには18歳年齢と高校生の減少で定員割れが危惧され、昨年度から夜間部の募集を停止しました。経営面では苦しいのですが、質の高い卒業生を社会に送り出すためにはやむをえないこともあります。これは他の養成校でも同様だと思います。
幸いなことに今年の国家試験合格率は、作業療法士が100㌫、理学療法士が約97㌫で、全国平均をはるかに上回っています。
卒業生への医療機関からの評判は、きちんとあいさつできるし、コミュニケーションも取れるという評判のようです。でも私としては、もっと学力をつけてほしいと思います。
̶学生に共通点のようなものはありますか。
家族が何らかのケガや病気で治療を受け、理学療法士や作業療法士が活躍している姿を見た、という学生が一定の割合でいます。
̶脳神経外科出身ですが、なぜ医者になろうと。
医師を志したのは、私の父も先代も福岡で医者をやっていたからです。父の後ろ姿を見て、いずれ自分もこうなるだろうと思っていました。でもまったく同じ道というのは嫌で、父は胸部外科でしたが私は脳のほうを選びました。
̶医師になって、いま思うことは。
医師というものは、人が好きでなければできない仕事です。私は元々、人見知りをするタイプで口べたなほうですが、そのことで、患者さんを相手にいろいろ話せば心が通うという経験は、ほかの人よりも大きかったと思います。外来の診察の場でも、手術の前の説明でも、難しい場面に直面したことは何度もありましたが、この歳になるとそれらも全部含めて、人間とはいいものだなとしみじみ思います。人間が好きですね。
̶若い人に助言があれば。
視野を広く持つことでしょうか。
目の前の学問だけではなく、いろんな本に親しんでほしい。医学は理系よりも、文系の面が多くあると思います。人を相手にする職業ですから、いろんな本を読んでいろんな経験をして、人の感情というものをわかっておいたほうがいい。それに加えて、医療を取り巻くあらゆる情勢について知っておいてほしい。そして、それについて自分はどう考えるか、ということです。
この学院で私は「医学概論」という講座も受け持っています。そこでは「とにかく自分で考えなさい。与えられた材料をそのまま覚えるのではなく、それを考える材料にしなさい」と言っています。考える習慣をつけることはとても大事です。そのためには自分としての基盤が必要ですから、それにはやはり、いろんな本を読むことです。
私が座右の銘にしているのは中国古典の「論語」でしょうか。入学式や卒業式の式辞で、今年は新渡戸稲造の話をしましたし、その前は福沢諭吉について語りました。吉田松陰の言葉を引いて、卒業生に志(こころざし)を持てと励ましたこともあります。
̶ご出身は?
福岡です。宮崎の人は自己アピールが少ないようですね。そしてそれを気にされていないようです。福岡から来たからそう思うのかもしれません。