医療法人 帰巖会 みえ病院 松尾則義 理事長(おれんじ診療所所長)
―明治の開院だそうですね。
明治18年(1985)に豊後大野市出身の岡本左馬太という医師が「帰巖(きがん)堂」を創業し、昭和39年に医療法人帰巖会岡本病院になりました。創業時から数えると今年で130周年です。
8年前に前理事長とほぼ同じ時期に院長として赴任した時は、常勤医は内科医を含めて3人で、入院70床と老人保健施設50床をみていました。訪問診療も積極的にするようになり、患者さんが増えてくるとともに在院日数が短縮し始めました。その後、回復期リハビリを始めた後に、整形外科医と内科医が新たに加わり、さらに患者さんが増えてきたため旧病院は手狭になり、新病院を別の土地に建てることにしました。
6年前に移転の計画を立て、4年前の4月1日に今の場所(豊後大野市三重町赤嶺)に移転し、帰巖会みえ病院として生まれ変わりました。その時は病院と老健施設だけでしたが、症状的に帰すところがない患者さんのために2年前の5月には59床の有料老人ホームを立ち上げ、旧病院隣地にあったデイケアを新病院の横に建てました。
―医療ニーズは変わってきていますか。
振り返ってみますと、100人ほどの職員が今は360人くらい、医師は今年2月に麻酔科の先生が来られたので8人、4月から整形外科の先生が1人増えて、全部で9人になる予定です。
24時間重症救急を扱うわけにはいかず、応急処置をしたあとよそに送ることになります。それでも、かつては年間40台か50台くらいでしたが、新病院になってから絶対に断らないという方針のもとで、400から500台くらい救急車を受け入れています。それらのことから豊後大野市の消防本部とは関係がスムーズになり、昨年12月1日から救急隊と当院の医師、看護師、事務職員の4者が同時に話せるホットラインが開設されました。(左図)
送った患者さんはまた当院に戻りますが、その後、家に帰そうとしても独居の方が多いため、自宅生活ができるよう充分なリハビリが必要です。そのためにリハビリを重視しようということになり、今では法人全体で60人近いリハビリスタッフがいます。訪問看護や訪問リハ、訪問歯科もやっていますが病院と家では違うことが多いですから患者さんを帰す前に家を見ておくのは大切なことだと思っています。
―今後の展開は。
今年60歳になるので、ここは若い人に任せ、私は臼杵市で高齢者のための慢性期病院をスタートさせる予定です。医者も老人、患者さんも老人というイメージで、そこから在宅医療を展開していきたい。元々それをやりたくてここに来たのに急性期になってしまって、今度は腰を据えて、本当の在宅をやろうと思います。最期は病院で、ではなく、できるだけ家にいられるようなシステムがつくれたらいいですね。
―次の病院が楽しみですね。
そうですね。どんな患者さんと出会うかわかりませんが、どっぷりと在宅に浸かりたい。基本的には断らないという姿勢でいくつもりです。
医者になった時から、今もそうですが、私の診た患者さんは最後までお付き合いしたいんですよ。最近の医療は、なんとなく流れ作業のようにも見えます。手術をし、化学療法は内科の専門がやり、家に帰れば地域の医者が診る。そうではなくて、自分の手術した患者さんは最後まで診たいんです。
化学療法も自分でやり、退院されたら自分が訪問診察して、リハビリにも口出しして、それで患者さんが嫌だと言えば、それはそれで仕方ないことです。だから患者さんに最初、必ず言うんです。「よそに行きたくなったら言ってくださいね、紹介状もデータも全部あげますから」と。
在宅だけをやりたいわけではなくて、病院で診た患者さんが家に帰れば、そこでも関わりたいということです。どんな状況にあっても家にいたいという気持ちを大事にしてあげたいんです。そんなに大それた考えがあるわけではなく、そのやり方が私にはぴったりだと思います。
だから次の病院では総合専門的な医者を探すつもりで、これしかできませんという人は仕事がないと思います。ある程度完成した専門があって、ほかの領域も広げたいと思っているような、訪問診察に興味のある人がいればいいですね。
―医師として心がけて来たことはありますか。
患者さんを自分の家族だと思ったら、夜中でもそんなにきつくないです。そう自分に言い聞かせてこれまでやってきました。私のまわりにそんな医者は多いですよ。