【寄稿】がん患者会は必要か

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乳がん患者の会「あけぼの会」会長 ワット隆子

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 あけぼの会は創立37年になる。私が乳がんの手術を受けたのが1977年、37歳のときで、翌78年に会を始めた。術後、再発の不安に私自身が煩悶(はんもん)したので、他の患者もおそらく助けを求めているのではないか、と新聞に投書した。がんの不安は同じ体験をした人でないとわからない、だから集まろう、という呼びかけだった。手術は東京の日赤医療センターだったが、主治医は私の精神的悩みなど、はなから取り合わなかった。そういう時代だった。

 昔の話になるが、当時はがんという言葉を口にするのはタブー、社会の掟のように禁じられていた。そんな時、新聞に「乳がん体験者の会を作ろう」と呼びかけたのは、かなり向こう見ずだったが、私には何の抵抗もなかった。あけぼの会の案内を病院に置いてほしいとお願いしても、「当院では患者さんに、がんと告知していないので置けません」と断わられるのが落ちだった。案内にははっきり「乳がん」という文字があったからだった。患者のほうも、がんと知っていても認めたくなくて、がんではないのだが入会したいという人がいた。そんな人には「あけぼの会は乳がん患者の会です。がんでない人は入会できません」とこちらからはっきり断った。私たちは最初から堂々としていた。

 今思うと、がんの2文字を隠すために、みなが暗黙の了解で押し黙り、被せていた覆いをパッと払いのけた、そんな勢いが、あけぼの会にはあった。1979年4月に東京で初めて開いた講演会には全国から200人が集まった。長崎、秋田、八丈島など遠方から一人で参加した人たちは口々に「こんな会が出来るのを待ち望んでいた」と喜び、会場は熱気で燃えた。会員が音を立てて増えていき、ほぼ全県に支部が出来、会員数が4千を超えた年もあった。ところが今、その数は半減し、今年暮れに閉鎖が決まった支部が二つある。

 総じて、がん患者会のニーズが減っているようだ。一つの社会現象ではないか。医療者も患者もがんをはっきり口に出して語るばかりか、病期について、予後について、治療法について、時には余命日数に至るまで、語り合う時代が到来している。日本のがん患者が、この10年くらいの短い間に、事実から目を背けないで、しっかり受け止める力を付けてきたことはあっぱれ、驚嘆し特筆したい。自分の身に起きた問題として受容し、逃げたりしないのだ。

 こんな患者の様変わりに、旧態依然の患者会はもう必要ではなくなったのではないか。「継続は力なり」は、もはや、あけぼの会には通用しなくなった感があり、私の中で、会を続ける自信を失いつつある。37年前のあの勢いが懐かしい。


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