残された時間を“生き切る”支えに

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医療法人聖愛会 松山べテル病院  院長・ホスピス医長  中橋 恒

中橋恒(なかはし・ひさし)/長崎市出身。1977 年金沢大医学部卒。常滑市民病院、国立療養所中部病院、九州大医学部第二外科、飯塚病院、国立福岡中央病院、国立大分病院などを経て、1992 年松山赤十字病院呼吸器外科部長。2002 年松山べテル病院ホスピス医師、2004 年同医長、2005 年から現職。日本緩和医療学会暫定指導医。

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 当院はベッド数155床の病院で、緩和ケア、ALSを代表とする神経難病、高齢者医療の3つを柱として診療しています。

 入院、通院、在宅と、目的に応じた生活の場がありますが、高度先進医療で病気そのものを治す病院ではありません。がん終末期や治療法のない神経難病の方、高齢者に特有の病気を診ながら、生活支援や看取りのケアを大切にしています。ホスピスケアは特に力を入れている領域で、2000年4月に愛媛県下で初のホスピス病棟を立ち上げました。現在38床で運用しています。

 医療法人聖愛会には、ほかに「べテル三番町クリニック」があり、こちらは在宅療養支援診療所です。当法人は在宅療養支援も大切にしており、クリニックはその中心的施設としての機能を有するように、一般外来診療、訪問診療、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、デイケアの部門を設けています。さらに、その全体をコーディネートするために在宅療養支援センターを設置し、専門看護師、ケアマネージャー、医療ソーシャルワーカーを配置して業務にあたっています。また、当法人には老健施設の「道後べテルホーム」もあります。

 病院でも訪問でも、主治医が一貫して変わらないのも特徴ですね。入院だけで何とかしようじゃなくて、基本は地域、家です。在宅部をもっと強固なものにしていきたいと思っています。

 1982年に初代の理事長、森健一先生がこの病院を開設した時、理念としてホスピス精神を前面に押し出されました。「亡くなることは医療の敗北」という発想ではなく、必ず訪れる死に対して、いい看取り、援助をしようということです。

 ですから、うちは亡くなった方を裏口から帰さないんです。元気になった方は表から、というのが多いですが、うちではお亡くなりになられた方もきちっと表玄関から帰っていただきます。

 私もこちらに来て最初はびっくりしたんですが、その思いがすごいなと。ご家族に「最後まで主人を主人として送り出してもらってうれしかった」と言っていただいたこともあります。国の施策の範囲の中で、思いを具現化していく流れが、先進的な医療のスタイルと全く違って、おもしろいと思うんです。

―院長になられた経緯は。

 私は高校生の時、困った人を助けたいと医学部を選びました。ちょうど、がん患者が増えると言われ、がんセンターが全国のあちこちにできていた時代でしたから、がんに関われる医者に、と思ったんです。

 がんを早く見つける内科医か、手術して治す外科医か、それとも発生理由や特効薬を見つける基礎研究か、と考えたとき、自分はせっかちな性格なので、結果がすぐ出る外科医を選びました。

 金沢大学の医学部を出て3年間愛知にいましたが、そろそろ地元の九州に戻ろうと思った時に、取り組みたかった肺がんをやっていた九大の第二外科に移りました。それが縁であちこち行き、40歳の時、松山の赤十字病院に来ました。

 私の専門の肺がんは治りにくいんです。見つかった時には進行がんの場合が多く、手術しないと根治性がないし、手術できても再発が多いんですね。治らない患者さんに何か手立てがないかと思う中で、当時大切さが言われ始めた緩和ケアに出会い、大切な仕事だな、と思いました。それまで臓器を診ていましたが、生きざまに関与できる領域が、自分の描いていた医師像の到達点みたいに思えたんです。

 その頃、私は50歳でした。まだ目は悪くないので手術もできるけれど、簡単な手術だと後進に経験を積ませるために譲る、上から見る、という年齢です。これから老いていくことを考えたとき、モチベーションも体力もあるうちに、緩和ケア1本でもうひと頑張りしたい、と思いました。それがきっかけで、当時、県内で唯一緩和ケアをしていたこちらの病院に来たんです。

 自分の描いていたホスピスケアと病院の方針に違和感がなくて、やっていくうちに院長に、ということになりました。今は現場に出ながら院長もやっています。

―大切にしていることは。

 例えば、胃がんが進行がんで見つかり肝臓に転移があった時、医学的な診断基準でいくと、手術できず根治性がない、となります。患者さんとしたら辛いですよね。「どれぐらい生きられますか」と聞いたら「がんばって3年です」と言われたりすると、人生を否定されるような気持ちにもなります。

 昔から「手当て」という言葉があったように、医療というのは命を包み込むヒューマニティーなものだったはずです。病気の事実だけ伝えて、あとは自分で考えろ、みたいなのは医療じゃないと思うんです。

 ですから、医者として、その人の人となりや生き方にいつも耳を傾けることを一番大切にしています。死を支援しているわけでなく、その人が残された時間を生きる、輝かせる援助を専門領域を生かしてやっていきたい。そして、あちらの世界に行くぎりぎりの時に、いい人生だったと思っていただけたらと思います。

―後進に望むことは。

 病を持った人には苦しみが必ずあるんですね。心の叫びに耳を傾けられる医者であってほしいと思います。ホスピスケアの精神は医療に携わるすべての職員が持たないといけないと思います。病める人の心にきちっと寄り添えて、その上で治療医としての専門性が発揮できたら、患者さんにもすごく満足してもらえると思います。


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