医療法人 美﨑会 国分中央病院 理事長/院長 藤﨑 剛斎
経営理念
霧島市民に必要とされる病院創り
昭和52年(1977)に開設した国分中央病院は、在宅と急性期を後方から支援する病院として運営されてきた。近年、高齢社会の到来で、慢性期病院の機能も求められ、かつ療養型としてのニーズも高まっている。病院敷地内にサービス付高齢者向け住宅「メディカーサ国分中央」を開設して1年、現状とこれからについて聞いた。小川光事務長代理と、メディカーサ国分中央の満留義高施設長が同席した。
藤﨑理事長
当初は医療ニーズの高い、たとえば人工呼吸器の付いているような、重医療、重介護の方たちを対象に考えていました。病院のそばにあるので、メディカルスタッフもいるし、看護師も24時間体制で待機させられます。医師も毎日訪問できます。
ところが実際にふたを開けてみると、けっこう元気な方が多く、でも高齢者なので、なんらかの病気を抱えておられて、それが急激に悪くなったりとか、病気がなくても突然肺炎を起こしたりするようなことがあり、ここから死亡退所される方も出てきています。
今後もそのような人がどんどん増えてくるのではないかと思います。
当初からそのような方を診ていきたいと思い、ここ(メディカーサ国分)の30室を病室だと考えているわけです。しかも個室ですから、こんなに最高の施設はほかにないんですよ。病院の基本は4人部屋もしくは3人部屋で、プライバシーなどの問題があります。しかも高齢の方がいったん入院すると長期になりますから、家族の方がお見舞いに来ても気を使いますからね。
福岡などの都市圏に比べて、地方は医療資源が少なく高齢化率は高いです。でもそれはみんなが分かっていることで、それに合わせた医療、介護、福祉、サービスをどのように提供したらいいかは考えやすいかもしれません。ニーズも選択肢としてそう多くないでしょう。都会では逆に選択肢が多すぎて、都会特有のやりにくさもあるのではないでしょうか。
限られた医療資源でどこまでやれるか、マンパワーも含めて、どう有効活用するか、いかに効率的に、そつなく無駄なく使いこなしていくかです。
限られた選択肢は、どれとどれか。それを情報共有していけば、提供できるものはあるはずだと、私は考えています。
東京銀座のデパートほどのことはできないにしても、自分たちの足元をしっかり見て役割分担をしていけば、それに準ずるものは充分提供できるのではないでしょうか。自分の暮らす地に合った医療を我々がどうつくるかです。
満留施設長
鹿児島県の中で国分中央は、割と都会ふうな便利の良さがあり、京セラの工場などもありますから、外から入ってくる人も多く、人間関係は結構あっさりしています。
理事長が言われるように、メディカーサ国分中央は病棟としての側面を持っていますが、入所される方は医療プラス介護、そしてサ高住特有の自由を求めて来られます。
小川事務長代理
訪問リハビリをやっていますが、件数はあまり増えず、デイケアがどんどん増えています。家にいるよりも外に出たいのではと、みんなで話しているところです。
藤﨑理事長
この近辺は歴史のある土地柄で、医療者に対してもきちんとしたコミュニケーションのできている地域です。
来年の春にはここから徒歩2分くらいのところに、地域密着型の特養をつくります。サ高住も30室では足りません。病院をひとつの基地として、その周辺にあるクリニックや医療関連の施設と連携を強めたい。これからやることは多いです。
医療者を目指す若い人には、「とにかく勉強しなさい、やりがいはあるが楽な仕事じゃない、でも目標が出来ただけでもいいじゃないか」くらいの声かけはしてあげたいですね。