鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
先進治療科学専攻腫瘍学講座
消化器・乳腺甲状腺外科学 教授 夏越 祥次
医師の偏在と総合診療医
一般に、医師不足という状況がいつも日本にあるように思われています。そこで地域枠とか、東北に新設の大学をつくるとかの話になるようです。でも極端な医師不足の話は、最近になって言われ始めたことで、医師の数を増やさない時代もありました。
それがなぜ医者を増やすのか。そして、それでもなお医師不足が起こっているといいます。
鹿児島のようなところはへき地と離島の医療をがんばらなければいけない県なんですね。鹿児島県の診療圏は、奄美も与論も全部入れて、東北の全県とおなじくらいの広さです。人口はそこまでないけれども、それくらい広い範囲を扱わなければならず、無医村の島も多い。
医師不足という状況が起きているのは、やはりよく言われるように、偏在だからではないか。その偏在を立て直す工夫が、現行の制度の中に必要になってくるのではないかと思います。
大学の医局に入る人が少なくなって、地域医療を支えていた人たちが高齢化し、疲弊して去って行き、へき地の医療は崩壊していってしまうわけです。
そして、医者が減ることで残った人が何役もこなさざるを得なくなり、耐えられなくなってまた去ってしまう。これがへき地・離島医療のいちばんの問題点です。
新臨床研修制度になったあとバランスが崩れて地方の医療に支障をきたしていることは、大方の認めるところではないでしょうか。とはいえ過去には戻れませんから、おそらく、専門医制度で地方やへき地・離島の医療をまかなおうとしているのではないかと思います。それで「総合診療専門医」の誕生となるのでしょう。
それはいいことですが、総合診療専門医がどんな人かということが大切になってくると思います。
当座は何でも診られる医者になりたいからといっても、へき地や離島で頑張り抜く覚悟があるのか、そこはちょっと心配です。正直なところ、鹿児島県のへき地や離島では、これまで医局が、救急や地域医療、外科や内科全般のわかる、いわば総合医のような医師を育てていたんです。都市部と地方部を循環させれば得るものは多いのです。そこを総合診療科で補えるかについては、へき地にずっと1人で耐えられるかどうか、それが心配ですね。モチベーションが高く、10年、20年の踏ん張りが効くのは、若い人ではなく、我々のような年代で、一つの仕事を終えたような医師に任せたほうがいいかもしれません。そこがうまく回れば、離島やへき地の医療が安定してきて、かつ専門家が総合的に診るということになります。
ただし離島などでは専門医が1人いてもなにも出来ないわけです。特に外科はチーム医療ですから、一つの島を拠点としてまとまり、新たな治療ができる、これがこれからの理想的な姿だと思います。
地元で過ごすのがいちばん
あちこちで、へき地医療のためにヘリポートの整備やドクヘリの配備をさかんにやっていますが、常在の医者がトリアージして、送るかどうかの判断をすることになります。でもすべての急患や重篤な人ををヘリで運ぶことは、費用の面から見ても大変です。受け入れる側も、鹿児島県のいくつかの大きな病院が、すべの急患を分けて引き受けられるかということです。1次、2次、3次と分けていますが、何でもかんでも送ると受け入れる側がパニックになります。
だから島は島の拠点を置き、そこを充実させて、ある程度完結型の医療を行ない、そこで無理な救急患者だけ鹿児島大学病院をはじめとする大病院に送るようにしなければ、いちばん困るのは患者さんと家族の皆さんです。船で来るにせよ飛行機で来るにせよ、時間もお金もかかって大変です。鹿児島に親戚がいなければホテルに泊まることになります。それを考えると、みんな地元での治療がいいわけです。それは当たり前のことで、みんな鹿児島へと集約化するのは簡単ですが、家族にすれば、さまざまな事情により、治療できなくてもいいですという人も出てくるでしょう。しかも高齢社会で独り住まいの人が多いですからね。
このまま主治医にかかりながら訪問看護や緩和ケアでいいですとなれば構わないでしょうが、助かる病気なら治療してあげたい。そこを命としてどう考えるか、それをいつも考えます。
となると、都会の人は医療を選ぶことができ、地方には医者が少ないから選べず、離島の人は治療も受けられない。これは医療の不平等になると思います。
死をどうとらえるか
2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬ時代になり、医療の進歩とも相まっていろんな問題が出てきます。
ひと月に50万円かかるこの薬を使えば、あと2、3年は生きられますよといわれた場合に、80歳でも大金持ちならともかく、少ない年金で暮らしている人は、収入や家族のことを考えて悩むわけです。
日本人は宗教観がそう強くなく、死は仏様の元に帰っていくという死生観はそんなにありません。
私はがんの専門ですから、市民公開講座の場や、がんの末期の方になどに、次のような話をします。
生まれてこの世で過ごさせてもらえるのはありがたいことで、寿命が来たらこの世の修業の終わりととらえ、そのあとはまた会いましょうよ、今度はあなたが講演して私が観客かも知れません。何千何万年もの長い人類の歴史の中でたった80年ですから、くよくよするのは得策ではありません。
ある日突然、身内が交通事故にあって亡くなったり噴火で亡くなったり、そのような死に方ではなく、自分の体から生まれた、老化の一つである、がんから、よく頑張りましたねというメッセージかもしれません。
あなたに1年が残されたらどうしますか。生き地獄のようだと思う人もいるでしょうし、自分の出来なかったことをする貴重な時間ととらえる人もいるでしょう。一生懸命生きる1日は、これまでぼうっと生きてきた1か月や2か月に匹敵すると思えば、1年は365か月になります。実は何年も生きられるんですよ。でも痛かったら痛みを取り、食べられなくなったら食べられるような処置をしてもらいましょう。私たちが最後にしたいことは、おいしく食べることとぐっすり眠れることです。喜びなさいとは言いませんが、エピローグはプロローグでもあり、会いたかった人にむこうで久しぶりに出会って酒でも飲んでみませんか。
聞かれる人は中年以上の人が多く、納得されたり、明るい顔で聞く人が多いです。親から受け継いだ遺伝子だから修了証書みたいなものだと思って共存し、最期は一緒に逝きましょうというくらいの考えができたらいいですね。
でもこういったことは、子供のころに道徳の時間やそれぞれの家庭で語り合い、身につけさせるものかもしれません。患者さんは医師に本当の顔を見せないことが多く、そこを個々に探りながら、最後の治療を決めていくんです。
【記者の目】
患者が重大な事態にあることを、医師は当人や家族にどう伝えるのだろうと、かねがね思っていた。インタビューの後半でその一端を聞くことができた。実際の現場ではここに書くような生易しいものではないにしても、それでも、患者と家族と向き合おうとする姿が想像できた。「1年は365か月になる」。この言葉はすばらしいと思った。
(川本)