福岡県医師会が推薦 受賞式に安倍総理 塩崎厚労大臣も
地域に貢献する医師5人を表彰する「第3回赤ひげ大賞」表彰式が10月31日、東京都内で行なわれた。日本医師会と産経新聞社が主催、ジャパンワクチン株式会社が特別協賛した。今年で3回目。九州からは福岡の二ノ坂保喜にのさかクリニック院長と、鹿児島県の古川誠二パナウル診療所所長が受賞した。二ノ坂医師に、これまでの活動や、今の思いなどについて聞いた。
■外科医から在宅医になっての大きな違いは。
若いころ、外科医や救急を懸命にやっていました。そして、いろんな成りゆきで今のクリニックを開業したあと、自分が外科医だったことに何の未練もない。そのことが不思議でした。残念だったと一度も思わなかったんです。
それはなぜだろうと考えてみたら、私は元々、理系が得意な人は文系に進み、文系の人は理系に行けば、全体としてバランスの取れた人間になれると思っているんです。
医学は文系とも理系とも分けられないんですが、いちおう理系だとすれば、私はたぶん文系の人間だと思うんですね。だから私のやってきたことは、自分の全体性をつくる上では良かったのでしょう。
その中でも、在宅や地域医療というのは、科学では割り切れないところがいっぱいあって、そこに、私の本来持っているものが触発されたのかなと思っています。その時その時を懸命にやってきて、全体を振り返ってみると、そういうことなのかなと。
ずいぶん長く長崎にいて、福岡に来てからも外科医を続けました。その時に都市型の在宅医療が必要だと感じたのが、今に至る一つのステップ、二十数年前のことです。
大きな病院にいた時と、今と、患者さんとの関わり方はほとんど変わらないのですが、患者さんの背景や、もっといろんなものが見えてきました。
■クリニックの運営は自分に適していましたか。
医者の成功にはいろんなことがあると思います。病院が大きくなるとか、いろんな施設を持つとか、ノーベル賞を受けるとか、あるいは大学教授になるとか。
私の場合は今の立場が、自分にいちばん合った、成長が得られる場でした。そしてそれが、時代にもマッチしていたんです。時代を先取りしようとかは全然思ってはおらずに在宅を始め、淡々とネットワークづくりを始めました。
オカリナと出会ったことは、とても大きいです。私の今の立場としては、医者として、痛みを取ったりする以外には、もうすることがない場合がよくあります。
第3 回赤ひげ大賞受賞者。左から古川誠二(鹿児島県)、二ノ坂保喜(福岡県)、鬼頭秀樹(徳島県)、西嶋公子(東京都)、岩田千尋(岩手県)の各医師。下は横倉義武日本医師会会長から表彰される二ノ坂医師。
写真提供:日本医師会
ところが、ある男性の患者さんの家を訪問した時、「あなたは最後の友人だ」と言われたんです。その時は意味がよく分からなかったのですが、相手の家に行くということは、たしかに友達で、最後の友達になることは、医師として関わった者の大事な役目だと思いました。常にそれを意識しているわけではないですが、最後に知り合ったのが私で、そのポケットにオカリナが入っているということは意味があることかもしれません。その場で音楽をプレゼントしてあげられますからね。
ただ、私が外科医だったときから、いくら患者さんが私を信頼してくれても、もっと上手な治療ができる医師がいるのでは、とか、他にも治療法があるのでは、などと考えることがありました。また、医者の見立てに反して、急に患者さんの容態が改善することもまれにあります。自分たちのやっていることが正しいのかどうか、常に振り返り、見直すことが医師にとっては必要だと感じています。
■赤ひげ大賞を受賞されました。率直な感想は。
赤ひげ大賞をもらったのは、ちょっと驚きました。福岡県医師会から推薦していただいたのですが、医師会に入会してまだ十年経っていないですから、そんなに貢献していないんですよ。地域医療の中で在宅ホスピスに早くから取り組んできた、そして地域のチャリティイベントにクリニックの施設を開放したり、在宅事例検討会など地域づくりやってきたことなど、医療の枠を越え、あるいはバングラデシュに看護学校を建てる活動も評価されたのかもしれません。もしそうだったらうれしいですね。
赤ひげ大賞をいただくことになって、山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚(たん)」を読んで、黒澤明監督の映画「赤ひげ」もDVDで観ました。
小説も映画も素晴らしかったですね。ものすごくよかったです。
江戸幕府直轄の小石川養生所が舞台で、赤ひげと呼ばれている新出去定(=にいで・きょじょう)が、医術なんてものは、治る人は治るし、治らない人は治らない。生命力のある人にちょっと援助するくらいのことはできるけれども、大したことじゃない。病気の大半の原因は貧困と無知だ、貧困と無知がなくなれば、多くの命が助かると言うんです。これは、まさにそうだと感じました。そしてこうも思ったんです。もし赤ひげが現代に生きていたら、きっと途上国支援をするだろうと。途上国の医療は貧困と無知の世界そのものですから。そこに日本の医療はもっと目を向ける必要があるのではないかと、私は受賞式でスピーチしました。
■いろんな期待が集まりそうですね。
今後の活動としては、まずバングラデシュの看護学校建設を終えること、そしてにのさかクリニックの待合室横に、地域ホスピス支援センターを、今年6月にオープンさせたので、その活動を定着させることです。私のところにあちこちから患者さんの相談が来ますが、全部をうちで引き受けたらパンクするし、広がらないので、それを解決するための、言わば相談窓口です。
これまでの経験を、地域の開業医の先生たちや、訪問看護師の皆さん、ケアマネや介護福祉関係の人たちと共有すれば、患者さんにさまざまな援助ができるし、在宅をやりたいけれども経験が少ないお医者さんもサポートできる。うちにソーシャルワーカーが3人います。彼らの役割はとても大きく、でも一般のクリニックで雇うのはむつかしいですから、彼らを地域のソーシャルワーカーとして活用してほしいと思っています。
■オカリナを吹く医師としても知られはじめました
オカリナを始めたのは50歳を過ぎてからです。それまで楽器にまったく縁がなかったのですが、初めて聞いたシャナさんという人の演奏がとてもよくて、持ってみたら手軽で、これならバングラデシュにも持参できますし、吹くと必ず音が出ます。そして値段が手頃。
音楽を通じて、患者さんや家族の方々だけでなく、ボランティアの人たちとも、ゆるやかで暖かな関係をつくることができ、音楽の力は大きいとつくづく感じます。自分の趣味が誰かのためになる。それが私にとってのオカリナです。
松田峻一良福岡県医師会会長のコメント
第3回「日本医師会赤ひげ大賞」受賞、誠におめでとうございます。
さて、今回、お受けになられた「日本医師会赤ひげ大賞」は、日本医師会と産経新聞社が主催し、日常の診療に加えて、献身的に住民を支えている医師に贈られるものであります。
二ノ坂先生は、医学部卒業後約20年間、救急医療や地域医療の現場で経験を重ねられ、平成8年にクリニックを開業後、これまで地域医療に貢献されると共に、長年に亘り在宅医療や国境を越えた活動を続けてこられました。今回、その献身的な活動に対して、日本医師会赤ひげ大賞という輝かしい栄誉を授けられました。
「人生の最期を生活から切り離された病院ではなく、豊かな生活の中で迎えるべきである」という思想を通して、患者一人ひとりの家庭環境や人生観、背景を考慮した在宅医療を行うため、日々往診を重ね、ご本人だけでなくその家族との関わりを通じて、様々な声に耳を傾け、命と向き合ってこられました。また、在宅医療への地域の理解を深めるために、在宅ホスピスのガイドブック作成のほか、在宅介護を支えるボランティアの育成や、バングラデシュ西部地域に学校や病院を設立する活動など、多岐にわたるその活動に全身全霊を打ち込まれている姿勢が受賞に繋がったのだと感じております。
現在、日本は超高齢社会を迎え、住み慣れた地域での継続的な生活を可能とするための体制構築に向けて今まさに過渡期を迎えております。
二ノ坂先生の取り組みが、更なる地域医療の充実・発展の礎となることと期待しております。