医療法人 日高整形外科病院 理事長・病院長 日髙滋紀
治しても治しても...
私は父が整形外科医でした。手術の様子や患者さんに感謝されている姿を見て、外科医ってかっこいいなと思いました。ブラックジャックの世代ですからね。
骨折などを手術して治し、日常生活に障害がないようにリハビリをしてQOLを高める、その仕事をしようと整形外科医になりました。
ところが治しても治しても骨折する人が出るんです。これじゃいかんと思いましたね。しかも、病院に来た時点ですでに2回目、3回目の骨折という人もいました。
おりしも、骨粗しょう症に効くいい薬が出てきたので、2000年に骨粗しょう症の総合診療体制を院内につくりました。栄養士がカルシウム強化食の食事会をしたり、看護師が骨密度検査結果や薬についてきちんと説明したり。医師だけでなくそれぞれのスタッフがそれぞれの分野で骨粗しょう症を予防する形です。
今は骨粗しょう症を治療するための薬物療法と予防するための運動や食事療法、さらに転倒予防、これらがメインの仕事になっています。「その人に適した治療が患者全員にできれば、骨折は絶対起こさんぞ、完全に予防できるぞ」と思っているんです。手術は年間100例前後ですね。
うちには通所リハビリテーションもあります。骨折などの手術で入院している間に認知機能が低下してしまうこともありますし、認知症を合併している患者さんも多いので、10年ほど前から学習療法として公文式を取り入れています。対面して会話をしながら、簡単な計算などをする、できたら褒められる、そのことが認知機能を高めるんです。
九州は専門的ないいお医者さんがたくさんいますが老年科が少ないので、それぞれの科の先生が少し枠を広げて仕事をしているのが現状です。高齢者はいろいろな病気が合併していることが多いので、高齢者を診るジェネラリストがもっとたくさんいるといいと思います。
健康寿命を短縮する慢性疾患に、メタボ3疾患(糖尿病、高血圧、高脂血症)、ロコモ3疾患(骨粗しょう症、変形性関節症、腰部脊柱管狭窄症)と、認知症の7つがあります。
骨粗しょう症の人は1240万人いるとされていて、2008年の全国のデータでは大腿骨近位部の骨折者数は18万人、2030年には30万人に上るだろうと予想されています。若い年代の伸びは抑えられているのですが、90代は急増しています。骨粗しょう症の治療でこの流れを止められるんですが、1度骨折した人が通院できなくなり、また骨折してしまっているのです。
以前講演会で、いい医療体制をつくるために予測、予防、個別対応、患者参加の4つが大事だという話を聞きました。
健康寿命を阻害する7つの疾患にならないよう、患者さん自身が予防し、参加しておくことがすごく大切なんですよね。それを治療の中で言い続けて、最近やっと「骨粗しょう症の治療をしないといかんね」と患者さんに言ってもらえるようになってきました。と言っても治療をしているのはまだ2割、8割は未治療だと言われています。
予防や患者参加のために検診はとても重要です。福岡県では骨粗しょう症の検診の効率を上げようとしていますし、久留米市にはWHOが開発した骨折リスク評価ツール「FRAX」をスクリーニングや検診に使いましょう、という働きかけもしています。
日本骨粗鬆症学会が予防のための「骨粗鬆症リエゾンサービス(OLS)」をつくり、診療時にコーディネーターの役割をする「骨粗鬆症マネージャー」の認定試験を今秋、初めて実施しました。
保健師や看護師、療法士、管理栄養士、福祉士など医療関連職種の人が一緒になって一次予防、二次予防をやっていこうという取り組みです。私もワーキンググループのメンバーとしてずっと関わっています。
イギリスで成果を上げている「フラクチャー(骨折)リエゾンサービス(FLS)」が「この骨折を最後の骨折にしよう」を合言葉にしているのに対して、日本のOLSは「骨折を起こさない、起こったらそれ以上させない」のが目的です。久留米骨粗鬆症リエゾンサービス代表世話人として、今後、この久留米も骨折のない地区にしていきたいと思っています。
医師の街・久留米を子どもたちにPR
久留米のクリニックや病院の先生が小児科、精神科、脳神経外科、歯科など各科に分かれて子どもたちに医師の仕事を紹介し、体験してもらう「ドクターブンブン」も2年目を迎えました。発案者の音成龍司先生(音成神経内科・内科クリニック院長)が委員長で、私は子ども医学部学長をしています。
高齢化、2025年問題と言われていますが、2040年からは多死少子社会で人口が激減します。働く人が足りなくなるのが分かっているんですよね。その中で、医療はマンパワーでやっているので、治療する人がいない医療関係の崩壊が来ます。ですから、子どもたちに医師の街・久留米の良さを知ってもらい、医療が楽しい仕事だと味わってもらいたいんです。そして、たとえ将来、進学などでいったん市外に出ても、また久留米に戻ってきてもらえたらと願っています。